S・フロイトの『鼠男症例(ラットマン)』を読む

 

重元寛人

 

 この章では、フロイトの論文『強迫神経症の一症例に関する考察』(1909)、通称『鼠男(ラットマン)』を題材にして「思考の万能」という概念について学ぶ。

周知のとおり『鼠男』はフロイトの症例の中でも特に重要であるというだけでなく、精神科分野の歴史的症例の中でこれほど有名なものは他にないという程よく知られた症例である。もっとも、名前は聞いたことがあっても実際にその中身を十分に知っている人は以外に少ないかもしれない。ひとつには、この症例の難しさということがある。難しさの一部は著作集の日本語訳が読みにくいことにもよるが、根本的には症例が内在する精神病理に関係している。患者の語るひとつひとつの出来事は不可解なものが多く、それらの間の因果関係もわかりにくい。重要な事実が後になるまで語られないために、事実関係がとらえにくい箇所もある。なにが現実に起こったことで、なにが患者の思い違いや空想なのかの区別もつきにくい。つまり、通常の思考回路ではきわめてわかりにくいような話しをするというのが、患者の本質的な特徴なのである。ここでは、私の作成した「ダイジェスト版」の『鼠男』を提示するが、それは完全に消化(digest)したものではなく、半分くらい要約・整理したものとなるだろう。わかりやすく簡潔に要約することは私の手に負えないということもあるが、症例呈示そのものが骨抜きになってはいけないという配慮でもあるのだ。

 では、はじめよう。

 

 

第一部 病歴

 

 大学教育を受けた一人の青年が私を訪れ、すでに幼年時代から強迫観念に悩み、ここ四年間は特にそれがひどくなったと訴えた。彼の主な症状は、かいつまんで言うと、自分が非常に愛している二人の人物、つまり父親と、自分が尊敬している一人の女性の身の上に何事かが起こりはしないかという恐怖心であった。このような強迫観念のほかに、たとえば剃刀で自分の喉頭を切りはしないかといった「強迫衝動」を感じたり、何でもない些細なことにもいちいちひっかかってそれに対する「禁止命令」が起こってくるのであった。彼はこれらの強迫観念との闘いで、これまでの数年間を消費し、そのために人生に落伍しているという。

S・フロイト『強迫神経症の一症例に関する考察』(著作集第巻9巻p215)

 

 症例はパウル・L[1](本名はエルンスト・ランツァー)といい、29歳であった。以下に初診時(治療契約前の簡単な聞き取り)における残りの叙述を抜粋する。

 

u       いろいろ治療を試みたが水浴療法が少し効果があったくらい。それも、その療養所で知り合った婦人と定期的な性的交渉をもてたのが良かったのかもしれない。

u       性的な能力は正常だが、性生活は全体に貧弱。16,7歳の時にマスターベーションをほんの少し。最初の性交は26歳。最近はほとんどなし。

u       自分から性生活について報告した理由をL氏に尋ねると、「あなたの理論を知っているからだ」と答えた。少し前に『日常生活の精神病理学』を読み興味をもったという。

 

(a)治療の開始(第1回面接)[2]

 翌日から本格的な治療が開始された。最初にフロイトから分析治療のルールの説明がある。ご存じのとおり、頭に浮かんだことすべてを話すという、自由連想の原則である。つづいて、L氏は次のような話からはじめた。

 

u       自分には非常に崇拝している友人がいて、犯罪的な衝動におそわれるたびにその友人の所に行って自分が犯罪者かどうか尋ねた。友人はそのたびに「君はすばらしい人間だ。ただ、自分の生活の暗い面を見る傾向にあるだけだ。」と言って励ましてくれた。

u       上記の友人と似たような影響をおよぼした人物として、L氏が14,5歳だったときに19歳だったある学生がいた。彼は「君は天才だ」と持ち上げ、後に彼の家庭教師になったが、ある時から急にL氏を低能あつかいするようになった。実は彼はLの姉の一人に興味があってその家に出入りするための方便として彼を利用しただけだった。この出来事は人生最初の一大打撃であった。

 

(b)幼児期の性生活

 このような話の後、L氏はいかにも唐突に自分の幼児期の性生活について話しはじめた。

 

u       私の記憶は6歳頃からだいたい完全である。

u       4,5歳頃の光景。若くて美しい家庭教師のペーター嬢にせがんでスカートの下にもぐり込ませてもらい、陰部や身体を触った。女性の身体を見たいという燃えるような悩ましい好奇心。

u       6歳頃、やはり家にいたリーナ嬢が、毎晩お尻にできた膿瘍の手当をするのを見て好奇心を満たす。

u       7歳の時の光景。リーナ嬢と他の女たちとの会話。「子どもとだってきっとやれますよ、だけどパウルさんはへたくそだわ、どうせぼんやりしているだけでしょうよ。」何のことかわからなかったが、ともかく軽蔑されたと思って泣き出した。

u       6歳ですでに勃起を経験し悩む。一度母の所に行ってそれを訴えたことをおぼえている。

u       観念や好奇心と勃起との関係を予感。「両親は私の考えを知っている。なぜなら、私はその考えを自分自身は聞かずに大声で話してしまったから。」という考え。

u       非常に気に入った娘が何人かいて、彼女たちの裸をぜひ見たいと願ったが、願うたびに「自分がこんなことを考えたらなにか起こるに違いない、だからそれを防ぐためにあらゆる手だてをうたねばならない」という不気味な思いを味わった。

u       フロイトの問いに答える形で上記恐怖の例をあげる――「例えば私の父が死ぬかもしれない」→「父の死に関する考えは早くから、そして長いあいだ私の心をしめていて、私をひどく落ち込ませたものでした」

u       現在も強迫的恐怖の的となっている父は、すでに数年前に死んでいる。

 

 以上の一連の幼少時記憶についてのフロイトの分析は次のとおり。

これらのできごとは、病気の発端というだけでなくすでに病気そのものである。完成した強迫神経症に必要な要素(下記の@〜C)がすべてそろっており、後の病気の原型となるものである。

@       女性の裸を見たいという願望 → まだ強迫的にはなっていないが、後の強迫観念に相当する。

A       上記願望に対立する強迫的な恐怖心(なにか恐ろしいことがおこるかもしれない)。

→ @とAを具体的な言葉にすると、「私が女の裸を見たいと思うならば、私の父は死ななければならない。」

B       上記を防ぐための防衛的行動への駆り立て(それを防ぐためにあらゆる手だてをうたねばならない)。→ 後の儀式的打ち消し行為に相当。

C       奇妙な妄想あるいは譫妄[3]:「私はその考えを自分自身は聞かずに大声で話してしまった」→ 子どもは我々が無意識と呼ぶ精神過程へのなんらかの予感をもっている。「自分では知らずになんらかの考えをいだく」という仮説の外界への投影、抑圧されたものの内的知覚。

 

(c)大がかりな強迫的恐怖(第2回面接)

L氏は、彼がフロイトのもとを訪れるきっかけになった、大規模な強迫症状について細かく述べた。

 L氏は中尉として8月にGでの軍の演習に参加していた[4]。ある日、L中尉はGからの行軍途中での休憩中に鼻眼鏡をなくしてしまい、ウィーンのかかりつけの眼鏡屋に代わりの品を送ってくれるように電報を打った。眼鏡をなくした休憩中、彼は2人の将校の間に座っていた。その一人のN[5]大尉は残酷なことを好む人物で、L氏は以前からその性格に不安を感じていた。その休憩中にも、彼は東洋で行われる残酷な刑罰について話した。

 ここまで報告したL氏は、どうかこれ以上続けるのは勘弁して欲しいとフロイトに懇願した。フロイトは、それは彼の抵抗であり、抵抗を克服することこそが治療の目的であるという説明をした。L氏はしぶしぶ語りはじめた。

L氏:「罪人は縛られているのです。その罪人の尻の上に鉢がかぶせられ、その鉢の中に鼠が押し込まれたのです。鼠は‥‥掘り進んでいくのです。」[6]

フロイト:「肛門の中へですね。」

 この話をしている間、L氏は、「自分自身でも気づいていない快感に対する怖れ」とでも解釈されるような独特の表情をした。

L氏:「その瞬間、このことは自分にとって大切な人物の上に起こっている、という考えが私の心に閃きました。」

その「人物」とは、彼が慕っている婦人とわかった。

L氏:「これらの考えは私にとってはよそよそしく敵対的なもので、それから連想されるあらゆることが驚くべき速さで頭の中をかけめぐるのです。そういう時には、私はいつもその空想が実現されないように『浄め(防衛的方法)』を行います。今回も、いつものように、拒絶のジェスチャーをしながら『しかし』と言い、そして『おまえは何を考えているんだ?』という言うことで、両方の考えを振り払うことに成功しました。」

フロイト:「『両方の考え』? 浮かんだ考えは一つではなかったのですか。」

L氏:「実は、その刑が『父にも課せられる』という考えも同時に浮かんだのです。」

(父はすでに死んでいるという点に注意。)

 話の続き。その晩[7]N大尉が郵便で届いた小包をL氏に手渡し、こう言った。「A中尉が君のために着払い代金を立て替えてくれたから、君はそれを彼に返さなくてはいけないよ。」小包の中には電報で注文した鼻眼鏡が入っていた。その瞬間、彼に次のような「禁止命令」がわき起こった。「金を返すな、さもなければあのことが起こるぞ(あのこと=婦人と父への鼠の罰)」これに対して、すぐさま禁止命令を打ち消すような、誓いの形の命令が生じた。「おまえは、A中尉に3.80クローネを返さなければならない。」彼はこの言葉を小声でつぶやいた。

 2日後に演習は終わった。この間にL氏はA中尉に借金を返そうといろいろ努力したがもっともらしい事情のために妨げられた。そして、とうとう彼はA中尉に会ったが、中尉は「僕は君のために何も立て替えたおぼえはない。立て替えたのはB中尉だ。」と言う。

誓いの前提そのものがくずれてしまい、L氏は当惑した。悩みに悩んで、L氏は次のような奇妙な解決法を考え出した。「A氏、B氏両方と一緒に郵便局に行き、A氏が受け付け嬢に3.80クローネを与え、受付嬢はこれをB氏に与え、そして彼は誓いどおりにA氏に3.80クローネ返せばいい。」

 この面接の終盤、彼はしどろもどろになり、フロイトに向かって何度も「大尉」と呼びかけるような混乱ぶりをしめした。

さらにこの回、次のような情報が得られた。「自分の愛する人に何か起こるかもしれない」という恐怖を最初に抱いたときから、その懲罰は現世だけでなく、永遠に来世までも引き継がれることを意味していた。彼は14,5歳までは宗教的に熱心であったが、しだいに無神論者になった。それでも、自分の信念と上記の強迫の矛盾点については、「来世について何がわかるのだ?何にも知りえないのだ。」といった不可知論で自分を納得させた。

 

第3回面接

前回の話の続きである。その晩、演習終了を前に最後の将校の集まりがあった。L氏は、乾杯の祝辞への返礼の演説をする間も上の空で、常に例の誓いに苦しめられていた。その晩も、A中尉に金を返すという誓いを実行すべきかどうか悩み続けた。翌朝L氏はA中尉とP駅への騎馬行を途中まで同行する予定だったからまだチャンスがある。ところが実際には彼はこの機会を利用せず、A中尉に先に行ってもらい、そのかわり午後になったら彼を訪ねる由を従卒に伝えさせた。彼自身は午前9時半にP駅に着き、用事をしてからA中尉を訪ねることにした。(次ページの図を参照[8]

A中尉の新しい駐屯地は、Pから車で一時間ほどの村であった。今からA中尉を訪ね、P駅から鉄道で3時間のZ市にある問題の郵便局に一緒に行ってもらい、例の計画を果たした後に、P駅にもどってウィーン行きの夜行列車に飛び乗ることができるだろう。頭の中で相克しあう考え。―― 一方では「自分が誓いに背こうとするのは、A中尉にそれを頼んで彼の前に間抜けな存在をさらす不快さをさけようとする臆病な気持ちからだ。」と自分を責め、もう一方では「誓いを果たす方が臆病なことだ。なぜならそうすることで強迫に従って心の平和を保とうとするからだ」と。

両方の考えが釣り合って決められない場合、彼は「神の手」にゆだねるかのように偶然の出来事によって物事を決めるのが常であった。それで停車場で赤帽から「10時の列車にお乗りですか、中尉殿?」と尋ねられたとき、「そうだ」と答えて10時に発つことにした。しかし出発して最初の駅でふと、「まだ今のうちなら、下車して反対の列車を待ち、それに乗ってP市へ行き、A中尉の駐屯場へ駆けつけて‥‥」と、誓いを果たす計画を思いついた。しかし、食堂車の席を予約したことを思いだし、それも思いとどまった。次の駅でもまた同じ考えが浮かび、‥‥といった奮闘をしながらついにウィーンに到着した。そこで友人に事情を話して一緒に夜行列車でP市に行ってもらうことも考えたが、期待したレストランでは会えず、ようやく晩の11時に彼の家にたどり着いた。友人は一連の話を聞き、強迫観念ではないかと心配し慰めてくれた。翌朝彼はL氏といっしょに郵便局へ行って、3.80クローネを、鼻眼鏡の小包が届いた郵便局へ宛てて送金した。

 


 

 


 刮目すべきは、L氏自身が3.80クローネを郵便局以外の誰にも、A中尉にもB中尉にも借りていないということを知っていたということである。事実はこうであった。L氏は、残忍なN大尉に会う数時間前に、もう一人の大尉に紹介され、その人が本当のこと、つまり鼻眼鏡の代金は郵便局の受付嬢が未知の中尉(L氏)を信頼して立て替えてくれたということを教えてくれたのである。A中尉は以前Z市の郵便局の管理を担当しており、最近その役はB中尉に引き継がれた。それでN大尉はA中尉が鼻眼鏡の代金を立て替えたと勘違いし、さらにA中尉はB中尉が立て替えたと思ったのである。このような事情をL氏は最初から知っていたのであり、にもかかわらず誤りにもとづいて誓いをたてそれに苦しめられていた。さらに、フロイトにそのことを報告する際にも最後まで言わなかったのである。

 さて、L氏は友人のところから家に帰ってから、また新たな疑惑にさいなまれた。一時は納得したものの、それはあの友人の人間的な影響に過ぎなかったのではないか。そうだ、自分がA中尉に対して考えだしたような行為を行うことが、自分の健康の快復のためには必要である、という内容の証明書を医者から貰おう。そして、この証明書によってA中尉は自分から3.80クローネを受け取らないわけにはいかなくなるだろう。そこに偶然フロイトの著書が舞い込み、彼はフロイトのもとを訪れることになったのである。もちろんフロイトは証明書など取り合わず、そのかわりに分析治療がはじまることになった。

 

(d)治療の理解への導入(第4回面接)

L氏は9年前に肺気腫で亡くなった自分の父の病歴を物語った。危篤状態の父を看病していた彼は、ある晩医師にいつになったらこの危機が去るのか尋ねた。医師は「明後日の晩まで」と言ったので、L氏は11時半からベッドで休んだ。しかし、彼が午前1時に目を覚ましたとき、その医師から父が死んだことを知らされたのである。死に目に会えなかったことで彼は自分をひどく責めた。

その後しばらくの間、彼はむしろ父の死を実感できなかた。例えば何か面白い冗談を聞くと「これを父さんに話さなくちゃ」とつぶやいたり、父の空想にひたったり、どこかの部屋に入る時、そこに父がいることを期待する、といったことがよくあった。

父の死後1年半がたった時、はじめて彼は臨終に立ち会わなかった怠慢の思い出がよみがえり、自分を罪人とみなすようになった。きっかけとなったのは、父方叔父の妻が死んだためにその家を弔問したときからだった。彼の叔父は妻の死を悲しみ、「ほかの男たちは放蕩したのに、俺はただこの女のためだけに生きてきたんだ」と叫んだ。それを聞いたL氏は、叔父が自分の父のことを当てこすったものだと考えた。後に叔父はそんな意味ではなかったと断言したがL氏への影響を打ち消すことはできなかった。その時から彼は自分の思考体系を来世まで拡大した。このようなショックに引き続いて彼は深刻な仕事不能の状態に陥った。「これらの呵責の念は大げさすぎる」言って、いつもはねつけた友人の慰めだけが唯一の支えであった。

 これに対してフロイトは、精神分析的な説明を行った。呵責の念の激しさと、呵責の念をおこしたきっかけの間に不釣合いな関係があるとき、素人はきっかけに比べて感情が大きすぎる、大げさだと言うであろう。しかし、分析医はこう言う。「いやその感情はもっともである。ただ、それはもうひとつの未知の(無意識の)内容に属するのであり、その内容をこれから探求しなくてはならないのだ。」

 

第5回面接

L氏はフロイトの説に興味をしめしたもののやはり納得できない様子でいくつかの疑問を持ちだした。フロイトは、意識と無意識の心理学的な区別について簡単な講義をした。ポンペイの遺跡のたとえ話をもちだして、意識的なものはすべて風化されうるが、無意識的なものは比較的変化をこうむらずに保たれる、ということを説明した。

フロイト:「あなたの場合、倫理的な人格と悪い人格への分裂があり、倫理的な人格は意識されるが悪い方の人格は意識されないのです。」

L氏:「たしかに幼児期には悪い方の人格に完全に支配されて悪行を行ったことがあるということを思い出しました。」

フロイト:「あなたは今、無意識的なものの主要な性質である、幼児期とのつながりに気づきました。無意識的なものは、幼児的なものだったのです。それは、もともと自己の一部であったのが、幼児期にそこから分離し、それ以後の発達過程に関わらず、そのために抑圧されてしまったのです。この抑圧された無意識の派生物のために、あなたの病気を構成する不随意的な思考が生じているのです。」[9]

 

第6回面接

 彼は幼児期のできごとについて話し始めた。前に話したように、7歳のころから彼は自分の考えを両親が見抜いているのではないか、という不安を抱き、それ以後もずっと続いた。彼が12歳のとき、彼は友人の妹である小さな女の子を好きになった。(フロイトの質問に答えて、この愛は官能的なものではなかったと答えた。)しかし、彼女のほうは彼の望むような関心をしめしてはくれなかった。そのとき、「なにか不幸なことが自分にふりかかれば彼女は彼に親切にしてくれるだろう」という考えが浮かんだ。さらに、「そのような不幸とは例えば私の父親の死」という考えが彼の心に押し入ってきた。すぐさま、彼はその考えを懸命に拒絶した。

 このように彼の中に浮かんでくるものが「願望」であったという可能性を彼はいまだに認めず、「単なる思いつき」にすぎないと言った。

フロイト:「それが願望でないというのであれば、どうしてそんなにやっきになって拒否するのです?」

L:「その考えの内容が、父親が死ぬというものだからです。」

フロイト:「あなたはその句をまるで大逆罪に関する言葉(例えば『皇帝は馬鹿だ』といった句)のように扱うのですね。しかし、あなたがそんなに懸命に拒絶するその内容そのものは、それがおかれた背景によっては拒否する必要のない意味にもなりますよ。例えば、『父親が死んだら、私は彼の墓の前で自殺してしまうだろう』というふうに。」

 彼は動揺しつつも認めない様子。

フロイト:「わたしには、あなたに父親が死ぬという考えが起こったのはこれが初めてではなくもっと以前に起源がある気がします。いつかきっと、私たちはその歴史をさかのぼっていくことになるでしょう。」

 つぎにL氏は、まったく同じ思考が心にひらめいた二度目のできごとについて語った。それは10年後のことで、その時彼はすでに例の婦人と恋愛中であったが、経済的な理由から結婚を考えることができなかった。その時、「父親が死ねば、彼女と結婚できるくらい金持ちになれる」という考えがおこった。この考えと闘うために、彼は父親が彼に何も残さないようにと願った。

 この考えは、三度目に、より穏やかな形で再びおこった。父の死の前日、彼は「自分はもっとも愛する人を失おうとしている。」と思った。すると反論がおこった。「いや、失ったらもっとつらい人が他にいる。」これらの思考は彼を非常に驚かせた。なぜなら、父の死はけっして彼の望むところではありえず、ただ恐怖の対象でしかなかったからである[10]

フロイト:「精神分析理論によれば、すべての恐怖は、今や抑圧されている過去の願望に相応するものです。ですから私たちは、あなたが仮定しているのと完全に反対のことを信じるよう余儀なくされます。」

L:「わたしがどうしてそんな願望をもちえましょうか。考えてもみてください、わたしは世界中で誰よりも父を愛しているのです。もし父の命を救えるのであれば、自分の幸福すべてをなげうったってよかったのです。」

フロイト:「そういう強烈な愛情こそが、抑圧された憎しみの必要条件なのです。」

 さらにフロイトは、たとえ話などまじえながら、どうでもいいような人には適度の好意と適度の批判を向けることができるが、非常に愛している人には敵意を意識しにくいといったことを説明した。

フロイト:「憎しみにはその起源がありますから、それをさがしだすことが問題となります。あなた自身の言葉が指し示しているように、それは両親が自分の思考を見抜いていることを恐れた時期にあるのです。また、あなたの強い愛情がどうして憎しみを消滅させられなかったのかといったことも考えねばなりません。その憎しみはある起源から生じ、ある特別な理由に結びついていたために、不滅になったのではないかと仮定せざるを得ません。一方でこの種の結びつきがあなたの父への憎しみを温存し、他方であなたの強烈な愛情がそれを意識的にするのを防いでいたに違いありません。それで、それは無意識に存在するほかはなく、ただときどき意識の中に一瞬もれ出てくるしかなかったのです。」

L:「おっしゃることはなかなかもっともそうな話です。でも、わたしにはそんな風にはとても思えません。だいたい、どうしてこの種の考えは一時的に『緩解』したりするのですか。そしてある時期に、すなわち12歳の時と、もう一度20歳の時に一時的に現れ、そしてさらにその2年後に現れてからはずっと続いているのでしょうか。その間に憎しみが消滅していたとも考えにくいし、かといってその間には自己呵責の兆候はまったくなかったのですから。」

フロイト:「そういう質問をする人というのは、いつでも自分で答えを用意しているものです。続けてください。」

L:「私は父の一番の親友だったし、私にとっても父は一番の親友でした。普通父と息子が遠慮し合って触れないようないくつかの話題を除いては、私たちの間には、現在私と一番の親友の間にある親密さ以上のものがありました。あの考えの中で父を犠牲にしたあの婦人にしても、私はとても愛してはいましたが、幼児期に感じていたような真に官能的な衝動を感じることはついぞありませんでした。つまるところ、私の幼児期の官能的衝動は思春期のときよりずっと強かったのです。」

フロイト:「求めていた答えが得られましたね。と同時に、無意識についての3番目の性質も明らかになりました[11]。あなたの父への憎しみが不滅性をひきだしているその起源は、あきらかになにか官能的欲望の性質をもったものです。そしてそれに関してあなたは父親をなんらかの妨害者とみなしているに違いありません。官能性と子供らしい愛着の間にあるこういった葛藤は、まことに典型的なものです。『緩解』がおこった理由は、あなたの官能性の早すぎる爆発が、直接的結果としてその暴力性を著しく減少させたからでしょう。そして、あなたが再び強い性欲に突き動かされたとき、昔の状況が再現され、あなたの憎しみが再燃したのです。」

L氏:「でも、もしそうだとしたら、私があの婦人に恋をした時に、『父による妨害など父への愛に比べたら問題にならないのだ』という結論に達したらそれですんだではないですか。なぜ私はそうしなかったのでしょう。」

フロイト:「欠席している人を滅ぼすことはできません。あなたの言うように決意するためには、あなたが異を唱えるべき願望が姿を見せていなくてはならないでしょう。実際には、それは長いこと抑圧されていた願望です。ですから、それに対してあなたは以前と同じようにしかふるまうことができず、だからこそそれは崩壊を免れていたのです。この願望(父を妨害者として排除したい)[12]が最初に起こった時は、今とは状況がずいぶん異なっていたのでしょう。おそらくそれは、あなたが官能的に恋焦がれていたあの人物ほどには父を愛していなかった時代、あるいは明確な決断をすることができなかった時代でありましょう。あなた早期幼児期、したがってあなたが6歳になる前、記憶が連続的になる前のことでしょう。そしてその時以来、事態はまったく変わっていないのです。」

 ここまでで、この議論はとりあえず終了した。

 

第7回面接

 L氏は前回の話題をもう一度もちだし、自分にはどうしても父に対するそのような願望があったとは考えられないと語った。しかし、そう言いながらも話しているうちに、あたかも自分の願望を暗に認めるかのような展開になっていく。フロイトは、患者というものは病苦の中からもある種の満足を得ているものであり、したがってその治療はつねに抵抗をともないながら進んでいくのだと伝えた。

次に、L氏はある「犯罪行為」について語った。「私には大好きな弟がいます。小さい頃はよく喧嘩をしましたが、とても仲がよくていつでも一緒でした。しかし、私の方に嫉妬心があったのはたしかです。というのは、弟の方が私より逞しく、美しく、そのために私よりもてたからです。それは、学校に入る前だから8歳になる前のことです。私たちはよくある型のおもちゃの鉄砲を持っていました。私は自分の鉄砲に弾をこめてから、弟に『銃身をのぞいてごらん、おもしろいものが見えるぜ』と言いました。弟が覗いたとたんに私は引き金を引きました。弾は弟の額に当たりましたが、傷はできませんでした。でも私は、はじめから弟を傷つけるつもりだったのです。私はすっかり度を失い、地面に身を投げ出して、『どうしてあんなことをやってしまったのだろう?』と自分を責めました。」

L氏が思い出した、もうひとつの復讐的な衝動。こんどはその対象は、彼が崇拝していた例の婦人であった。「ほんとうのところ、彼女はそう簡単に人を愛せないのかもしれない。いつか身を任せる男性のために心を許さずにいるのだ。彼女は自分を愛していない。」そう確信した時、彼の頭にはある空想が沸き起こってきた。「自分が大金持ちになって、他の女と結婚し、その妻をつれて婦人を訪れ、大いに彼女の心に痛手を与えてやろう」と、そこまで空想してふと我に返った。彼にとっては、妻となる「他の女」のことなどまったくどうでもいいのだ。彼の思考は混乱した末、「その他の女は死ねばいいのだ」と思いついたのであった。

 この空想においても弟へのたくらみにおいても、そういったことがとんでもなく恐ろしく思えるという、ある種の臆病さが自分にはあると彼は気づいた。

 彼は、彼の病気が父の死の後から非常に悪化したという事実を表明し、フロイトもそれに同意して言った。「私は、あなたの父親の死に対する悲しみが、あなたの病気における強烈さの、主な源泉であると思います。あなたの悲しみは、いわば病気の中に病理的な表現を見出したのです。の期間は通常1,2年しか続きませんが、このように病的な喪は永遠に続くのです。」

 以上が、分析治療の最初の7日間の叙述である。この後はテーマごとに考察を交えながらまとめていく。

 

(e)若干の強迫観念とその分析的な説明

 一見無意味なように見える強迫観念も、夢と同じように解釈可能であり、注意深い分析によって理解可能なものになりうる。と、力強く述べた後、フロイトは鼠男の「自殺衝動」の研究にとりかかる

 ある時、彼は恋人が不在だったために、勉強するはずだった数週間を無駄にしてしまった。彼女は祖母が重病なので看護をするために旅立っていた。猛勉強の最中に、彼はふと思いついた。「今期の試験をできるだけ早い機会に受けろ、といった命令であればなんとか従うことができる。しかし、剃刀で喉を切れと命令されたらどうだ。」すぐにこの命令がすでに発しられているような気になって、彼は剃刀をとりに戸棚へ走った。そこではたと思った。「いや、そう簡単なことではない。おまえは行ってあの老人を殺さなくてはならない。」あまりの恐ろしさに、彼は床に倒れこんだ。

 フロイトの解釈。試験勉強中、不在の恋人への激しい恋慕に襲われた彼は思った。「よりにもよって自分が彼女をこんなにも恋しく思っているときに、あの老人はなんだって病気になんかなったんだ。」そして、それは怒りとなり、「行って、恋人を奪った老婆を殺してやりたいa。」といった気持ちになり、続いて「そんな乱暴な憤怒、殺害心にたいする懲罰として、自分自身を殺すのだb。」という命令が下る。以上の精神過程のうち、abとの順序が逆転して、上記のような一連の逸話となった。

 別の自殺衝動の例。ある日、避暑地で彼は突然、「自分は肥り(ドイツ語でdick)すぎている、痩せなければいけない」と思いついた。それでプディングが出る前に食卓を立ち、無帽で8月の焼けつく陽光の路上を走り、汗をだらだら流しながら遂に立ち止まらざるをえなくなるまで山へ駆け登り始めた。またある時には、この痩せへのこだわりの背後からあからさまな自殺の意図が現れ、急な崖っぷちに立っている時に突然「跳び下りろ」という命令が下ったりすることもあった。

 解釈。ちょうどその時彼の恋人も同じ地に避暑に来ていたが、彼女を追い回している英国人の従兄弟を伴っており、そのことでL氏はひどく嫉妬していた。その従兄弟は、皆にDickと呼ばれていた。Dickを殺したい→痩せたい。そして、痩せるための極端な行動は自己懲罰でもあった。

 以上の二つ自殺衝動の例に共通する点。両者はともに、強烈な憤怒への反動として生じたということ、そしてその怒りは、彼の恋を邪魔する者へ向けられた感情であったということ。

 恋人が避暑地に滞在中、L氏には他にもいろいろな強迫が生じた。長くなってきたので一つだけ紹介する。

 

 彼女がその土地を出立する日、彼は街路に転がっている石を足で蹴飛ばしたが、ただちにそれを道の隅にどけなければならなかった。これは、「数時間以内に彼女の馬車がこの街路を通り、もしかしたらこの石にあたって怪我でもしたらたいへんだ」という考えが起こってきたからである。しかし数分後に、それはやはり馬鹿らしい心配だと気づいた。そして今度はそこへ戻ってその石を街路の真ん中の元の位置に再び置き直さなければならなかった

著作集239ページ

 

 最初の、石をどける行為は、L氏の婦人にむけられた無意識的敵意に対して反動的に強まった愛情(保護)を表現した行動である。その石を元の位置に戻す行為は、ばかげた強迫行為を合理的な視点から打ち消そうとしている行為を装いながら、実は婦人に向けられた無意識的攻撃性がそのまま表現されているのだ。

 

 この例のように、二つの強迫行為から成る行動系列が継起し、第一の行為が第二の行為によって打ち消される、継起的な二重性の強迫行為こそ、強迫神経症に特有な定型的現象である。当然それは、患者の意識的思考によっては正しく理解されず、むしろ二次的な動機を付け加えられて、合理化されてしまう。しかしこれらの強迫行為の本当の意味は、これまで私が知ることのできた範囲では、二つのほぼ同じ強さをもった対立的な感情興奮の葛藤の表現であり、換言すれば、それは常に愛と憎しみとの対立の表現なのである。われわれがこのような強迫行動に特殊な理論的関心を感ずるのは、それが症状形成の新しい類型を示唆しているからである。ヒステリーの場合には、相反する二つの対立が一つの表現中に妥協形成として表現される。つまり二匹の蝿を一撃で殺すような一石二鳥がいつもきまって起こるのが常である。ところが強迫行為の場合には、相反する二つの対立傾向がそれぞれ別個に、つまりまずその一方が満足されて、その次に反対の傾向が満足されるのである。その際、言うまでもなく、これらの互いに敵対しあう両傾向の間には強迫神経症に特有な独特な論理で――それはどんな論理をも無視したものであることが多いのであるが――両者のつながりを回復しようという試みが行われているのである。

著作集240ページ(一部改変)

 

(f)病気の起因について

 ある日われわれの患者は、なにげなくある出来事について話した。すぐさま私は、その出来事こそこの患者の病気の起因に違いない、少なくとも今日まで6年間もつづいているこの病気を発病させた直接原因に違いないと考えた。患者自身は、自分がそんなに重大な事実について話したとは少しも気づかなかった。彼がこの出来事を重要だと考えたことは、今まで一度もなかった。しかも彼は、この出来事を決して忘れはしなかったのである。このような彼の態度こそ理論的に研究する価値のあるものである。

著作集243ページ

 

 ここでいう「起因」あるいは「直接原因」というのは、病気の根本的な原因というよりは、その引き金となった出来事のことであり、「誘因」と言った方が近いかもしれない。これに対して、病気の根本的な原因は幼児体験にあると、フロイトは考えている。彼はこの二種類の原因(「幼児体験」と「起因」)と意識との関係を、ヒステリーの場合と強迫神経症の場合とで比較してみせる。

 

 ヒステリーの場合には、一般に発病の直接原因も、その情動エネルギーが症状に転換されるのに不可欠な幼児体験と同じように健忘にみまわれるのである。こうした健忘が完全にはなしとげられない場合でも、直接原因としての外傷的誘因は不明瞭になり、少なくともそのもっとも重要な要素はうばわれるのである。われわれはそのような健忘過程の中に、抑圧が行われた証拠を見出す。強迫神経症の場合には、一般に事情は全く異なっている。この場合には、幼児期に与えられた神経症発病の諸条件は、時には不完全なことがあるにしても、とにかく健忘にみまわれる。これに対して、発病の直接原因の方は依然として記憶の中にある。この場合抑圧は、他の元来もっと単純な機制を使用する。すなわち外傷体験を忘却する代わりに抑圧は、外傷体験から情動備給を撤回する。その結果、意識の中には、無着色で、重要とは見なされないような観念内容が残るのである。

著作集243ページ,一部改変

 

 ここでひとつ注意しなくてはいけないのは、「抑圧」という語の使用である。この頃のフロイトは比較的広い意味でこの術語を用いているのである。すなわち、「抑圧」とは、外傷体験を健忘してしまうこと(狭い意味での「抑圧」に近い)や、外傷体験から情動備給を撤回すること(後の言葉で言えば「感情の分離」)などを含む上位概念ということになる。

 上で述べられたことを図式化すると以下のようになるだろう。

 

 

幼児期の体験(根本的原因)

起因あるいは直接原因

ヒステリー

意識的記憶の中にない

意識的記憶の中にない

強迫神経症

意識的記憶の中にない

意識的記憶の中にある情動備給は撤回されている

 

 

 L氏の病気における「起因」の話にもどろう。それは次のような出来事であった。

 

 彼の母は、遠縁にあたる富裕な家庭に引き取られて育った。そこの家族は、大会社を経営していた。彼の父は結婚と同時にこの会社に就職したが、実のところ自分の妻のおかげでかなり安定した地位に昇ることができた。こうして彼の両親は、人もうらやむような幸せな結婚生活を送っていたが、この両親の間に交わされた冗談話から、ふとこの息子は、自分の父が母を知るしばらく前に、ある身分の低い家庭の、美しいが貧しい少女に言い寄ったことがあったという事実を知ってしまった。ここまで前おきで、今度は彼が大人になってからのことであるが、父の死後、ある日母は、息子に次のような話をした。今母と金持ちの親戚たちとの間で、彼の将来のことが話題になっている。そして、親戚の一人は、もし彼が学業を終えたなら自分の娘をお嫁にやってもいいと言い、こうして会社と縁ができれば彼の職業にも輝かしい見通しが開けるだろう、と話した。この家族計画を聞いた彼の心中には、自分は貧しい恋人に忠実でいるべきか、それとも父の轍を踏んで、自分に定められた美しい金持ちな、家柄のよい少女を妻にした方がよいか、という精神的葛藤が燃え上がった。そして、本来は、自分の愛情とその死後になってもなお自分に影響を残している父の意志との間の戦いであったところのこの葛藤を、彼は発病という形で解決したのである。もっと正確にいえば、彼はその葛藤を現実において解決するという課題を、発病によって回避したということができる。

著作集245ページ

 

 フロイトのこのような説明を聞いて、L氏は「自分には母の打ち明けた結婚計画がそんな結果を生んだとはとても考えられない」と反論したが、一方では転移空想の助けをかりて、自分が忘れていた過去のこと、あるいはただ無意識にとどまっていたことを、新しいこと、現在のこととして体験するようになった。このころ、L氏はフロイトの家の階段で見かけたある娘をフロイトの娘と勘違いしてしまい、分析医が自分に親切にしてくれるのは、自分を娘の婿に欲しいと考えているからだ、という空想を発展させた。そして、次のような夢を見た。

 

 「先生の娘さんが目の前にいました。ところがお嬢さんは、二つの目をもつ代わりに、二つの大便のかたまりをつけていました。」夢の言葉がわかる人には、この翻訳は容易であろう。すなわち、「私は先生の娘さんと結婚するが、それは彼女の美しい目のためではなく、彼女のお金のためです。」と。

著作集247ページ

 

(g)父親コンプレックスおよび鼠観念の解決

 L氏の場合、以上述べたような病気の起因(貧しい恋人と結婚するか親に勧められた結婚をするかという選択をせまられたこと)は、病気の根本的な原因である幼児期の体験と「父親」というテーマを媒介にしてつながっていた。

 では、いよいよその幼児期の体験を追究していこう。ずばり、L氏の父親に対する無意識的敵意の原因は、彼が父親を性的活動の「妨害者」とみなしているというところにある。

 例えば、彼ははじめて性交の快感を経験した時、「これは素晴らしいことだ、このことのためなら誰だって自分の父を殺すことがあるかもしれない!」という考えに襲われたのである[13]

 また、彼のマスターベーション(手淫)についての態度が独特であったことにもフロイトは注目した。フロイトの性理論によれば、マスターベーション欲求は3歳頃からはじまって4,5歳で頂点に達し(幼児期のマスターベーション)、その後一旦は抑圧されて背景に退き(潜伏期)、そして思春期になると再び活動しはじめるということになっている。L氏の場合は、思春期のマスターベーションをぜんぜんしなかった。ところが、父の死後まもなく、21歳の時に激しいマスターベーションの欲求にかられ、それを行い、激しく後悔してやめようと誓ったのである。

 

 そのとき以来手淫の衝動は稀にしか起こらなくなったが、非常に奇妙な機会にたまに起こってきたのである。すなわち彼は何か特別に愉快な体験をもった瞬間とか、何か美しい文章を読んだ時とかに手淫をしたくなった。たとえば、ある快い夏の午後、市内で郵便馬車の馭者が、非常に上手に笛を吹きならすのを聞いたときである。しかもその笛は市内でならすことを禁止されていたので、巡査にやめさせられてしまった。彼は、この笛を聞いて手淫をしたくなったのである。ある時はまた、ゲーテの『詩と真実』を読んだ時である。この物語で、ある嫉妬深い女が、自分の後にゲーテの唇に接吻するかもしれない彼の恋人を呪ったとき、若きゲーテがどんなふうに優しい愛情の興奮の中でこの呪いの力から抜け出していったかというくだりを読んだ時であった。長い間ゲーテは迷信につかれたようにこの呪いにとらわれていたのだが、ついにはこの呪いの束縛を打ち破って、自分の恋人に心ゆくまで接吻したのであった。

 彼は自分が、まさにこのような美しく感動的な体験をきっかけにして急に手淫したくなるということをあまり不思議に思っていなかった。しかし私は、この二つの実例に共通している条件として、禁止とその禁止から逃れようとする努力とをとり出さざるを得なかった。

著作集249ページ

 

 L氏において、この思春期のマスターベーション欲求復活がおこらなかったのはなぜか。「禁止と禁止から逃れようとする努力」というテーマとの関連は?

フロイトによる構成は次の通り。

 

 あえて私は次のような構成の試みを行った。すなわち彼がまだ幼児であった六歳の頃、手淫に関係のある何らかの性的な悪戯をやって、父親から手厳しく折檻されたに相違ないと。そうしてもちろんこの処罰によって手淫はやまったのであるが、その反面に父に対する消えがたい怨みを遺し、成人してまでも父は自分の性的快楽の妨害者だという感じが根強くでき上がってしまったのである。

著作集250ページ

 

 この解釈に対してL氏は、そのような出来事を自分では直接覚えていないものの、母から何度も繰り返し聞かされてきたと語った。

 

 彼がまだごく幼かった頃、何か悪いことをして父からなぐられた。この子ども(L氏)は非常に怒って、ぶたれながらも父親をののしった。しかしまだののしりの言葉を知らない年齢だったので、思いつくままにありったけの物の名前を父に浴びせかけた、「お前なんかランプだ、ハンカチだ、お皿だ」などと。父は打擲の最中の子供のこのあまりにも激しい真剣な爆発にびっくりして打つのをやめ、「この小僧は大人物になるか、それとも大悪人になるぞ!」と叫んだ。彼はこの時の光景の印象が、自分にとっても、父にとっても、いつまでも後にのこって影響しつづけたと考えている。この後父は二度と彼をぶたなくなった。彼自身は自分の性格の変化のある部分をこの体験のせいにしている。それ以来彼は、自分の怒りの激しさを恐れる余り、たいへん臆病になってしまった。そればかりではない。彼は生涯人に打たれることを心配し、自分の兄弟姉妹の誰かが打たれたりすると、恐れと反抗心でいっぱいになって、その場に居たたまれなくなって身を隠すようになった。

 あらためて私が母親に問い合わせた結果、この話が本当のことであることが証明されたが、同時にそのとき彼はまだ実は満三歳と四歳の間であったこと、彼が罰を受けたのは、誰かに噛みついたためであるということが判明した。母親もそれ以上詳しいことを覚えていなかった。小さな息子に噛みつかれたのは乳母だったかもしれない、と曖昧な返事だった。彼のこの乱暴が性的なニュアンスをもっているかどうかについては母の口からは何も聞くことができなかった。

著作集251ページ

 

 このような幼児期の体験が父に対する消えがたい怨みを遺し病気の原因となったというフロイトの構成を、L氏はやはりすぐには受け入れず、強い抵抗を示した。さらに治療場面では、またしてもフロイトやフロイトの家族に対する空想的な転移を発展させ、その中で幼児期の体験を再演した。苦痛に満ちた分析治療の末、優しいと思っていた父親が実は怒りっぽくて、いったん怒るととめどがないといったことが何度もあったことを思い出し、これをきっかけに洞察がひらけてきた。そしてついに、治療を受けるきっかけとなったあの演習中の大規模な強迫症状についての解明がなされたのである。

 N大尉の鼠の話と、A中尉に金を返すようにとの催促が、L氏にあれほど大きな病的反応を引き起こしたのは何故か。L氏の無意識には「コンプレックス敏感面」があり、それがこれらの話によって著しく刺激されたと考えられる。

 借金返済についてのコンプレックス。L氏の父はかつて数年間の軍務についたことがあり、周囲の者に自分の軍人時代のことをいろいろ話して聞かせていた。そんな逸話の一つに次のようなものがあった。ある時父は、下士官として預かっていた少額の金をトランプで失ってしまい、この時同僚が立て替えてくれなかったら大変なことになる所であった。父は軍隊を出て安定した生活に入った後に、その時の同僚を捜して金を返そうとしたがとうとう見つからなかった。L氏は自分が軍の演習を受けることで、無意識に自らを父と同一視しており、N大尉からの借金の催促が、父の返されなかった借金に対する当てこすりのように思えたのである。また、この記憶は理想的と思っていた父の過去の行いに関する様々な疑惑をかき立てた。

 ウィーンに帰ろうか、郵便局のあるZ市に行こうかというL氏の迷いについて。Z市の郵便局の受付場が好意的にお金を立て替えてくれたという話に加えて、その町の旅館の美しい娘がL氏に好意を抱いてるという話もあり、彼は演習が終わったらその町に戻ってその娘に言い寄ろうかなどと考えていた。ウィーンに行こうかZ市に行こうかという迷いの隠れたもう一つの意味は、二人の女性(崇拝している婦人と別の女性)の間での迷いであった[14]

 鼠コンプレックスについて。鼠は、L氏にとって多くのものを象徴していた。

1.L氏は幼少期、回虫の肛門への刺激によって興奮を感じていた。鼠の話は、その肛門性感を連想させた。

2.肛門愛からの関連と共に、「鼠(Ratten」と「分割払い(Raten」の音連合からも、鼠はお金を意味するようになった。さらに「賭博狂(Spielratte」という音連合から、父の賭博による借金が連想された。

3.鼠が危険な伝染病の仲介者であることから、梅毒感染の媒介となるペニスが連想された。鼠による懲罰が連想させる肛門性交の道筋からも、同様の象徴的意味づけがなされうる。

4.イプセンの『小さなアイオルフ』の鼠妻(『ハーメルンの笛吹き』と似た話)の連想から、鼠が子供たちを意味するということがわかった。L氏は特別子ども好きであったが、彼の崇拝する婦人は両側の卵巣摘出術を受けており、子どもを生むことができない身体であった!

5.鼠の鋭い歯で物を噛み食いちぎる様子、そしてそのために皆の嫌われ者であるところが、幼少期のL氏自身にそっくりであった。

 L氏が残忍なN大尉から鼠刑の話を聞いたとき、彼の頭には上記のような連想が浮かぶと同時に、N大尉がかつての残忍な父親の代理となってあの幼少期の場面が再現された。L氏は、当時のように父=N大尉に憤激を向け、「お前がそのような罰を受けるがいい」という(無意識の)願望を抱き、それが意識においては反動的に「父と恋人がその罰を受けるのでは」という強迫的恐怖をもたらした。

 鼠の話からN大尉がL氏に鼻眼鏡をわたすまでの間に、彼の頭の中では鼠に関する様々な連想ができあがっていた。「A中尉に金を返せ」という大尉の言葉を聞いたときにはL氏は自分がA中尉に借金をしていないことをすでに知っていた。そこで、彼は「{父と恋人が子どもを生むことができるのであれば、}A中尉に金を返します。」と答えた。これは、「父にも恋人にも子どもを生むことなどできるわけがない、それと同様A中尉に金を返せるわけはないのだ。」という、N大尉に対する嘲笑の言葉であった[15]

 N大尉=父親に反抗し、父や恋人へのみだらで残忍な願望を抱いたこと、これによってL氏はを受けなくてはならない。それは、N大尉=父親の発した実現不可能な命令への絶対服従であった。こうして彼は際限のない強迫に悩まされることになったのである。

一連の強迫症状の最後に彼を悩ませた、ウィーンに行くべきか、Z市に戻るべきかという迷いは、2つの迷いを表現していた。父に忠実にするべきか(Z市に言って誓いを果たす)、父に反抗するべきか(ウィーンに行って父の意向に反した結婚をする)という迷いと、恋人に忠実であるべきか(ウィーンに行く)、恋人を裏切るべきか(Z市に言って別の娘を口説く)という迷いである。この悩みが、父と恋人に関して次のようにクロスした関係になっている点にも注意。

ウィーンに行く  →  父に反抗   恋人に忠実

Z市に行く    →  父に忠実   恋人に反抗

 つまり、父に反抗することは恋人に忠実にすることであり、父に忠実にするには恋人を裏切らなくてはならない。病気の起因となった、あの結婚問題とも同じ形になっている。

 

 

第2部 理論的研究

 

(a)強迫神経症の発症のメカニズム(初期の理論から)[16]

 フロイトが神経内科の世界から手を引きつつ精神分析という新しい治療法を開発していた1890年代、彼はヒステリーにはじまり、強迫神経症、恐怖症、不安神経症など主要な神経症の疾患論についての論文を次々とものにしていた。その中でも特に重要なのが、『防衛精神神経病(1894)』とその続編の『防衛精神神経病に関する追加考察(1896)』である。この二つの論文の趣旨に沿って、ヒステリーおよび強迫神経症の発症メカニズムについてまとめてみよう。

 初期のフロイト理論によれば、ヒステリーや強迫神経症などの防衛神経症の病因は、患者が幼少期に実際に体験した性的外傷体験であるという[17]

 ヒステリーでは、患者が幼少期に受けた外傷は、誰かに性器を刺激されるといった内容のものであり[18]、その体験の性的受動性がヒステリーへの方向づけにとって重要な素因を形成する。このような幼少時の体験の記憶は、彼女(あるいは彼)が思春期以後に遭遇する第二の外傷体験(病気の起因・直接原因)によって再活性化される。そして、外傷体験とそれに結びつく感情は、それらを抑圧し続けようとする自我の目をのがれるように身体症状を通じて放出を求める(転換)。表現を求める抑圧されたものと、それを抑圧し続けようとする傾向との妥協産物がヒステリー症状である。

 一方強迫神経症においては、病因となる幼少期の体験は、快感を伴ってなされる攻撃的な活動や、性的活動に積極的に参加することである。すなわち、そこで問題となるのは性的受動性ではなく性的能動性である。もっとも、この能動的な性欲はいきなり現れるのではなく、それ以前に年長者から受けた性的誘惑をベースに生じるものであるという。

時間をおって経過を述べると次のようになる。まず、患者はごく幼い頃に性的誘惑を受けた。続いて彼は、異性に対して性的攻撃性をおびた行為を行うようになる。快感をもって行われたこれらの行為は、性的な成熟(それは早熟であることが多い)とともに非難すべきものと認識されるようになり、その記憶は意識から締め出され、良心、羞恥、自己嫌悪といった感情によって置き換えられてしまう(第一次防衛闘争)。その後しばらくは表面的に平穏な時期が続く。しかし、彼(あるいは彼女)が後になって、抑圧された記憶を連想させるような出来事や外傷体験に遭遇した時、これらの記憶とそれに結びついた呵責の念は再活性化し表現を求めるようになる。意識化を求める抑圧されたものと、それを抑圧し続けようとする自我の闘いの末、前者はその情動エネルギーを別の表象に移し変える(移動)ことによって自我の目を逃れ、意識に進入することに成功する。これが、強迫観念である。

 

 強迫観念は、幼児期において快楽を伴って行われた性的行為に関連して形成され、その後抑圧から再び復活し、変形された形をとって再現されてきた非難、呵責の念である。

「防衛精神神経病に関する追加考察」

 

ヒステリーでは、抑圧されたものが症状に転換された後は、第二次疾病利得などによってその症状はさらに強化され、患者は病気に安住してしまう傾向がある。これに対して強迫神経症者にとって強迫観念はなんとも不快なものに思われるため、さまざまな打ち消し行為によってこれを無効にしようとする努力、すなわち第二次防衛闘争がその後も続けられることになる。

 

(b)初期論文に対する批判

 以上が初期フロイト理論におけるヒステリーおよび強迫神経症の疾患メカニズムの要旨である。非常に明確でわかりやすい。ところが、これに対して、鼠男論文は「あまりにも統一化を求めすぎている」と批判している。たしかに理論だけを見るとわかり易いが、鼠男のような複雑な症例を完全に説明するには無理があるかもしれない。フロイトも十数年の間にいろいろな経験を積み、「そんなに単純にはわりきれない」ということを実感したのであろうか[19]

 初期論文に対する批判の第一点は、「強迫観念」という言葉の使い方である。このように呼ばれる強迫症的形成物は、実際には願望、欲望、衝動、反省、疑惑、禁止、命令などさまざまな種類の精神活動なのであり、それをいっしょくたに「強迫観念」としてしまうというのはおおざっぱすぎる。一般に強迫神経症者は物事を抽象的に論じることを好むが[20]、フロイト自身がそれを真似してしまっていた、と自己批判している。ここから先は私自身のコメントであるが、これに似たことは我々も日常の臨床でよく経験するのではなかろうか。患者がある種の心的現実から目をそらし、抽象化や合理化を行う際に、治療者も思わずそれにつられてしまいそうになることがある。病気について単純でもっともらしい説明を与えるということは、患者にとっても治療者にとっても共通する誘惑なのであろう。

 批判の第二点は、初期論文において強調されていた第一次防衛闘争と第二次防衛闘争の区別である。両者はともに、表現を求める「抑圧されたもの」とそれを抑圧し続けようとする自我の闘争という本質においては同じことである。また実際の臨床においては両者が混入したような病像を呈することもあり、常にきちんと区別することはむずかしい。そもそも、それらを厳密に区別することの意味はなんであったのか。『防衛精神神経病に関する追加考察』では、ヒステリーと強迫神経症の違いについて論じる際に、外傷体験とそれに続いておこる防衛についての時間経過の違い(すなわち、いつどんな外傷体験がおこり、それに続いてどのような防衛がどんな順番でおこったかといったこと)が重要視され、そのような文脈の中で強迫神経症においては第一次防衛闘争と第二次防衛闘争の区別が強調されていたのである。ところが、その後のフロイトの考察において、初期理論の重要な前提である、神経症の病因としての「実際の外傷体験」はしだいに疑問視されるようになり、それにかわって幼児期に人が抱く普遍的な空想が注目されるようになった。当然それに続く防衛についての時間経過、第一次と第二次の防衛闘争の区別といったことの持つ意味も相対的に薄れてくる。

 このことは実は、「神経症の選択」という重要な問題につながってくる。同じような葛藤が原因になりながら、なぜある人はヒステリーになり、ある人は強迫神経症になり、またある人はパラノイアになるのか[21]。これは非常に根本的かつ難解な問題であるとして、フロイトは生涯にわたって何度もとりくんでいる。少しわき道にそれるかもしれないがここで触れておこう。

上で述べたように、『防衛精神神経病に関する追加考察』の時点では、神経症の選択は外傷と防衛の時間経過の違いによってなされるのではないかと述べられている。これに対して、鼠男論文では、暫定的な仮説と断りながらも次のような理論を展開している。すなわち、強迫神経症においては無意識的な憎悪が、体質的に強く発達した愛情中のサディズム的要素によって、ごく早期の幼児期にあまりにも徹底的な抑圧を受けてしまうのだという。初期理論においては外因を強調していたフロイトも、中期の鼠男論文の頃には少なくとも強迫神経症への方向づけには内因的な要素が働いていることを示唆している。そして、お気づきの方もおられるだろうが、ここでいう「体質的に強く発達した愛情中のサディズム的要素」というものが、後に後期構造理論(第二局所論)においては「超自我」として概念化されるのことになるのである。

 第一次防衛闘争と第二次防衛闘争の話題に戻ろう。これらの区別がどうでもいいというわけではなく、むしろそのような区別だけで割り切れるほど実際の病像は単純でないということであろう。防衛されるものは、夢やジョークの中に抑圧された願望が表現を求める際と同様の手法を使って、すなわち様々な歪曲の技法を用いて[22]検閲の目を逃れつつ、自己を表現しようとする。防衛しようとするもの(自我)は、それを必死になって打ち消そうとし、様々な「浄め」を開発し実行しようとする。このような防衛闘争は延々と続き、実際の病像はいろいろな要素がこんがらがって複雑になる。それにしても、このようにしつこく繰り返されるという強迫症状の特徴、「強迫性」と呼ばれるものはいかにして生じるのであろうか。

 

(c)強迫神経症患者にみられるいくつかの精神特性

 ここで少し視点を変えて、ラットマンに観察され、かつ他の多くの強迫神経症者にもみられる精神特性について描写する。フロイトは以下の3点をあげている。

@迷信的なものへのこだわり

A疑惑に対する要求

B思考・願望の全能

 順に述べていこう。L氏は非常に迷信的であった。と、同時に彼は高い知性をもそなえていたので、それに対する批判的な考えも持っていた。彼の迷信的態度は、金曜日や十三の数への不安といった馬鹿げたものではなく、予言的な夢や前兆、偶然の一致への不吉な予感といったものであった。例えば‥‥

 

なぜかわからないがちょうどその時頭に思い浮かべていた人物にひょっこり出会うといった経験が繰り返し起こったり、あるいは長い間音信不通で忘れていた人物のことを偶然思い出したら突然そこへその人物からの手紙が舞い込んだりすることがあった。

著作集268ページ

 

 こういったことはわれわれもよく経験するが、普通はちょっといやな感じがするくらいですぐに忘れてしまうだろう。L氏の場合はそれが気になって仕方がなかった。もちろん彼も、合理的視点からの批判として、これまでに前兆的な出来事があってもその後なにもなかったことが多いとか、逆に重大な出来事が何の前ぶれもなしに起こったこともある、といったことを自分に言い聞かせたりしたのである。それでも、彼はその不吉な予感を振り払うことができなかった。

 これについてのフロイトの分析は次のとおり。彼には、こういった不思議な因果関係を現実の中に見出したいといった精神的要求があった。

 

 私が前に説明したように[23]、この種の病症の場合には、健忘症というかたちで抑圧が遂行されるのではなく、感情の撤回の結果起こる因果関係の解体というかたちでなされるのである。これらの抑圧された関係はある種の漠然とした形でその後も存続するように認識され――このような認識を、私は他の個所で精神内知覚に喩えたことがある――、そしてそれらは、投影の過程によって外界に移し変えられ、意識から消し去られたものの証となるのである。

著作集269ページ(英訳をもとに改変)

 

 L氏は、結婚問題で悩んで病気になったといった重要な因果関係から目をそむけていた。このような因果関係の抑圧により、彼の心中には「なにかのせいでなにかがおこっている」というような、というか言葉にもしがたいような曖昧な何かが残るのである。こういった曖昧な感じはなんともすっきりしないため、本来因果関係のないところに因果関係を見出そうとする傾向、すなわち因果関係を外界に投影しようとする傾向が生じる。そこでは、しくじり行為などでもみられる無意識的過程によるちょっとした手品によって、単なる偶然とは思えないような不思議な現象がおこるのである。

 二番目の精神特性、「疑惑の要求」も同じように説明できる。L氏や他の強迫神経症者は、現実において不確かな事柄にとりわけこだわり、しつこく追求するところがあった。それは例えば、父と子の血のつながり、寿命、死後の生命、記憶の確かさ、といったテーマである。これらは、考え出せばきりがないしどこまでいっても明確な答えが見出せるという性質の疑問ではない。彼らはこういうことに執着することで、実際的な重要な問題から目をそむけ、逃れているのである。L氏の場合は、恋人の不妊症という事実に目をそむけるあまり、彼女の卵巣摘出術について、誰がその手術を行ったのか、それが片側だったのか両側だったのかといった情報を追求しようとしなかったのである。

 三番目の精神特性は「思考または願望の全能」である。L氏の思考や行動のパターンを見ていて思うことのひとつは、なぜ彼は「いけないこと(例えば父や恋人への否定的なことなど)を考える」ことをあれほどに恐れるのかということだ。われわれの比較的健全な者の感覚からいえば、考えることや願望することと、実際に行動することの間には、大きな隔たりがある。邪悪な考えであっても、それは頭の中で空想するだけであれば、他人に対しては無害である。多少の悪いことはきっと誰でも考えているのだし、実行しなければいいんじゃないの、もちろん心も行動も一致して清らかであればそれにこしたことはないけれど。ところが、L氏にとってはそうではないらしい。邪悪なことを考えることは、それを実行するのと同じくらいいけないことだ、と考えているかのように見える[24]。というよりも、自分が考えたことは念力のように行動をせずとも実現してしまい、それは自分の責任になると信じているふしがある。

 このように、L氏や他の強迫神経症者には、自分の考えたことや望んだことが行動を介さずに現実になると信じているかのような態度が共通してみられた。フロイトがこれを指摘し、なぜそう思うのかをL氏に尋ねると、彼は次のような2つの体験を語った。それに続くフロイトの考察も含めて引用しよう。

 

 病気がはじめて快方に向かった水浴療養所に二度目に行った時、彼は前と同じ部屋を要求した。つまりその部屋が、療養中ずっとある看護婦と関係をもつのに好都合だったからである。ところが返事によるとその部屋はもうふさがっており、ある老教授がすでにそこに入っているということだった。治癒の見通しを暗くするようなこの知らせに反発して、彼は次のような毒々しい言葉を返した。――「そのかわりあんな奴は、卒中でも起こしてくたばってしまえばいいんだ」と。2週間後、彼は死体の観念にうなされてふと眠りから覚めた。朝になって彼は、その教授が本当に卒中で倒れたこと、そしておおよそ彼が目覚めた時刻にその部屋に運びこまれたことを耳にした。

 もう一つの体験は、愛に飢えたハイ・ミスに関するものである。そのう人は彼に大変好意を寄せ、一度は、「私を愛することができないか」と彼にじかに聞いたことさえあった。彼は逃げ口上を言った。二三日後彼は、その婦人が窓から落ちたことを聞いた。そこで初めて彼は自分を責め、「もし自分が彼女を愛してあげさえしたら、彼女を生きながらえさせることができたのに」と自分に言い聞かせた。

 そんな具合で彼は、自分の愛と憎しみの全能を確信するに至った。われわれはその愛の全能を否定するよりも、二つの場合とも死が中心になっていることに特に注目したい。そしてまた、他の強迫神経症患者と同様に、われわれの患者も彼の憎悪感情の内的、精神的作用の大部分が彼の意識的な知識から見逃されているために、勢い外界におけるその憎悪感情の力を過大評価しすぎてしまう、というもっともな説明を与えることもできるであろう。彼の愛情――あるいはむしろ彼の憎悪――はたしかに強力である。これこそある強迫思考創り出す源泉なのである。患者自身はその源泉を理解せず、ただ空しくそれに対して実らざる防衛の努力を繰り返しているだけなのである

1923年の補遺:思考の全能、もっと正確に言えば、願望の全能は、それ以来原始的精神生活の本質的部分と認められるに至った。S・フロイト著『トーテムとタブー』参照。

著作集271ページ(一部改変)

 

 ようするに、強迫神経症者の3つの精神特性についてのフロイトの説明はほとんど同型であると言ってよいだろう。すなわち‥‥

 

         @迷信的なことにとらわれている

強迫神経症者が、 A疑惑を好んで追及する            のは、

B思考・願望の全能といった態度をもっている

 


                  @重要な因果関係

彼が抑圧によって、精神内界における A真に追求すべき疑惑  から目をそむけ、

B愛憎のもたらす作用

 

@因果関係

その結果、外界における別の A疑惑   を過大評価するからである。

B作用

 

共通する部分だけを見れば、精神内界の何かを見ないようにした結果、外界における別の何かを重要視することになるということである。一言で言えば、「投影」ということだ。この概念もまた、フロイトがかなり関心をもち追求したもののひとつである。それは精神内界の状況が外界の認識にある方向性をあたえるということであり、神経症と精神病の現実検討能力の問題、さらには人間による世界の認識のあり方といった根源的問題に触れる重要なキーワードである。

「思考・願望の万能」の話にもどる。この言葉の説明も、上の引用でつくされているわけではない。1923年の補遺で触れられているように、これは単に強迫神経症の特徴ということにとどまらず、人間精神についてのより普遍的な特徴とみなされることになるのである。しかし、とりあえずここでは「思考・願望の万能」が、死についての認識と深く関わっているという点について注意を喚起しておくにとどめる。

 

(d)「強迫性」の源泉―思考の性愛化

 いよいよ終盤、強迫神経症の本質的な部分に踏み込んでいこう。強迫神経症者の、あの独特の、繰り返し繰り返しこだわってこだわって、思考し行為する、あの独特の感じ、「強迫性」と呼ばれるようなものは、どこから生じるのであろうか。

 この問いに答えるために、病歴篇の最後に述べたL氏における中心的な葛藤の話からはじめよう。それは、父をとるか恋人をとるかという葛藤と、それぞれに対する愛と憎しみの葛藤であった。恋人は母親の代理であると考えれば、これは母か父かという葛藤と、それぞれに対する愛憎の葛藤とも言い換えられる。母への愛が、妨害者=父への憎しみをまねき、去勢威嚇、父への愛と同一視、母への独占的愛の断念、という具合に進行していくといった話(後の言葉で言えばエディプス葛藤の解消)になりそうだ。しかし、ここでは少し別の道筋をたどっていくことになる。理由はよくわからないが、フロイトはここでは父と母の問題よりもむしろ愛と憎しみの強烈な対立そのもの[25]に注目しているのである[26]

 

 強迫神経症患者の場合のような、同一の人物に対する愛と憎しみの、しかもきわめて激しい二つの感情の慢性的な並存にはわれわれもおどろかざるを得ない。

(中略)

 きわめて早期の、すなわち歴史的記憶以前の幼児期に行われた、愛と憎しみという二つの対立物の分裂、しかもその一方である憎しみの方が一般に抑圧されてしまうという事情こそ、このように奇妙な愛情生活の状況を形成する条件であろう。

著作集274ページ

 

 その後の発達の中で、愛の方は反動形成によってより強調される。一方、憎しみのほうは無意識の中でますます強く活動し続ける。

 このような状況におちいった人はどのように行動するだろうか。愛にしても憎しみにしてもそれらは表現を求める。それぞれの感情にみあった行動を志向する。愛情の場合は、相手が異性であれば愛の告白をし、恋人としてつきあい、求婚するなどであろうし、同姓であれば友情を誓い、ともに尊敬し助け合いながら親交を深めていくことであろう。憎しみであれば、相手を罵り、それぞれの立場において様々な手段で相手を貶めようとするだろう。感情をどの程度行動にうつすか、どのような行動に出るか、それが成功するか失敗するかといったことはケースバイケースであろうが、いずれにしてもその感情にみあった行動をめざすのにはかわりない。ところが、相手を愛しながら同時に憎んでしまったらどうするか。どちらかの感情がより強ければ、打ち勝ったほうの感情にもとづいて行動するだろうが、対立する感情がちょうど同じ強さでつりあってしまったら?

 その答えは、「行動できなくなる」である。もっと正確に言えば、行動を決定できなくなるのである。

 

 もし一つのことに激しい愛情が起こり、同時にこれに対して、それと同じくらいの強さをもった激しい憎悪が対立して起こって、これらが互いに不可分に結び合うならば、その結果としてまず部分的な意志の麻痺が起こったり、また愛情をその動機とするようなあらゆる行為における決断の不能が起こらねばならない。

著作集276ページ

 

 強迫神経症者の場合、意識の中にあるのは反動的に強調された愛情であるから、愛に満ちた行動をしようとするだろう。しかし無意識の中にある、強い憎悪感情はそれに反対する。といってもこの感情は抑圧されているだけに、意識という表通りを通って自らを表現することはできず、裏通りから自らを歪曲して代理行動にでようとしたり、それとはわからないかたちで愛の行為を妨げようとしたりするだろう。このような「反則技」に対して「愛」の方も黙ってはいない。リング上の闘いは場外乱闘にもちこまれ、収拾がつかなくなる。愛と憎しみの闘争は次々に形を変え、一見全然関係のなさそうな事柄についての悩みと決断不能をもたらす(例:L氏のZ市に行くか、ウィーンに戻るかについての悩み)。

 そして、最終的にはどうなるのか。

 

 さらに、一種の「退行」の機制を通して、本来は準備的行為であったものが終局的な決断行為の代理となり、思考が行為にとってかわり、代理行為の代わりにそれに先立って生起するところのなんらかの思考段階が強迫的な力をもって自らを主張し始めるのである。

著作集278ページ(改変)

 

 つまり、思考から行動への流れは本来以下のようになるとすると‥‥

@思考 → A準備行為 → B終局的な決断行為

 今まで述べてきたような事情から、Bの終局的決断行為はできなくなる。そこでAの代理行動で我慢する。ここでとどまっているのが、単純な強迫行為を延々と繰り返すタイプの強迫神経症。そして、さらに思考すること自体が行為の代理となり、最終目的となってしまうのが、強迫的思考を延々繰り返すタイプの強迫神経症ということになる。

 このように、精神的いとなみの最終目標が、行為から思考へと後退していくことを、「退行」という。この言葉については、『夢判断(1900)』の第7章に詳しい説明がある。そこでは、心的装置を望遠鏡や顕微鏡のような光学機器に例えている。

 

 

 

 

 

 

 

 


図の左側から知覚末端に刺激が入力(知覚)されると、それは左から右方向への複雑な興奮の流れ(=心的過程)を経て、最終的に運動末端から放出(=行動)される。このような通常の興奮の流れに対して、それとは逆方向に興奮が伝わることを「退行」と呼ぶ[27]。夢や幻覚においては、ある種の記憶痕跡から知覚が創造されるという、退行が起こる。

 強迫神経症では、行為から思考への退行が起こると同時に、もうひとつ別のかたちの退行もおきる。強迫行為は、長く繰り返されるうちにしだいに自慰行為の様相をおびてくる。すなわち、ここでは対象愛から自体愛への退行がおこっているということになる。

 以上のような退行の機制が、L氏や他の強迫神経症者に幼少期から優勢であった性的瞠視欲(見たいという欲求)および性的知識欲(知りたいという欲求)と結びつくとどういうことになるか。

 

 思考過程そのものが性愛化される。すなわち、通常は思考の内容に付随している性的快感が思考過程そのものに移しかえられ、ある思考経路にそって結論まで導かれていくことで得られる満足感が性的満足感となる。

著作集279ページ(改変)

 

 なんと、「思考過程そのものが性愛化」されてしまうとは。このあたりは、「すばらしい」思う人と、「やっぱりついていけない」と辟易する人と、フロイトへの好き嫌いの分かれるところであろうか。行動への過程であるはずの思考そのものが目的と化すこと、それ自体はいいとしても、なぜそれを「性愛化」と呼ぶ必要があるのか。フロイトにとって「性」とは本来幼児的なものであり、さらに強迫神経症においては対象愛から自体愛への退行がおこっている。そのことを考慮すれば、ここでいう「性愛化」は、「子供の性器いじり」のようなものと考えればいいのではなかろうか[28]。子供が性器をいじるように、くりかえしくりかえし思考をするその過程自体が快感となる。それが強迫的思考である。

 以上をまとめると結論は次のごとくなる。

 

 ある思考過程が強迫的になるのは、(対立する衝動の葛藤により)精神システムの運動末端において制止が起こった結果、本来ならば行動のためにのみ用いられるはずのエネルギーを使って、その思考が遂行される場合である。すなわち、強迫的な思考とは退行的に現実行動を代理することをその機能とするの思考のことである。

著作集280ページ(改変)

 

 「精神システムの運動末端」という言葉については、前のページであげた図を参照すると理解しやすい。強迫神経症の場合には、図の右端の矢印が示す「運動による興奮の放出」の経路が(運動能力の障碍によってではなく対立した衝動の葛藤の結果)絶たれ(制止)、その手前の興奮伝達過程(=思考過程)そのものが性愛化されて、興奮の放出という本来行動が担うはずの役割をはたすようになる。これが、「強迫性」とよばれる、あの独特の感じについての説明である。

 

 「思考の性愛化」にしても、その前の「思考の万能」にしても、ともに最初は強迫神経症者の特徴的性質とみなされていた。しかし、フロイトは後にこれらを人間精神のより普遍的根本的な性質と考えるようになった[29]

そもそも「思考」とはなにか。上の図の左から右への興奮の流れが、ほとんど抵抗なくなされていくのであれば(例えば、動物がある刺激に対して本能で規定された一定の行動をする場合)、心的過程は自動的な、パターン化されたものとなり、それほど注目され、意識されることもないのあろう。この過程が「性愛化」され「万能」となった時にはじめて、「思考」という特別の名をつけるに値する心理学的過程になるということなのではなかろうか。さらに、それは我々の「主体性」とか「自我意識」といったものの成立と何か関係があるのではなかろうか。

 



[1] 『著作集』およびドイツ語版全集では、この症例は“H”と呼ばれている。英訳標準版では、本名にあわせて“L”としている。このレジメでも「L氏」と呼ぶことにする。

[2] このように、(a)(e)に続く小見出しは、原文のものに対応している。それとは、別に1回から7回までの面接ごとの区切りもわかりやすくするために入れた。

[3] この譫妄という言葉の使い方は、現代の一般的な精神医学用語の意味とは異なる。後に説明あり。

[4] どのようないきさつで、どんな演習だったのか詳しいことは書かれていないが、この時点で戦争に参加していたわけではないらしい。

[5] L氏」の場合と同様、残忍な大尉は『著作集』では「M大尉」となっているのを、ここでは「N大尉」と記すことにした。

[6] このレジメでは、ときどきこんな風に脚本風に書くけれどもこれはもちろんわかりやすくするための脚色である。しかし、会話内容自体は人称以外は(彼→私というふうに)ほとんど変えていない。

[7] 小包が1日で届くはずはないから、これはL氏の記憶違いであり、後にフロイトの分析の対象になっている。

[8] この図は英訳標準版からの引用である。著作集の図は、おそらく独語版全集からとったものであるが、本文と少し矛盾するところがある。

[9] このレジメで第5回面接の叙述が短いのは、フロイトがL氏に無意識の説明をするくだりを省略したからである。この面接では、L氏の発言は少なかったのかもしれない。対照的に、次の第6回は他より長くなってしまった。治療初期における山場のように思えたので、フロイトとL氏のやりとりをあまり省略せずに再現したつもりである。

[10] ここのところは少々わかりずらいが、原文でも明瞭な説明はなされていない。なぜ父より失ってつらい人がいるということが、父の死を望むことになるのか。これは強迫神経症者に特徴的な思考過程によって以下のような思考の省略がなされているからではなかろうか。父が死なない → 父は例の婦人との結婚を許さない → 婦人を失うことになる。このような前提を考えると、「父を失うより婦人を失うほうがつらい」 → 「父が死んで、婦人を失わないほうが望ましい」。

[11] 無意識の1番目と2番目の性質については、第5回面接の傍点をふった部分で説明してある。つまり、@無意識にあるものは変化をまぬがれることA無意識的なものは幼児的なものであること

[12] 『著作集』では、「そのような願望(エディプス的願望)」と書かれている。「エディプス・コンプレックス」等の術後は、フロイトはこの著作の時点ではまだ使用していないはずであるから、カッコ内は翻訳者が気を利かせたつもりで入れたものであろう。

[13] この出来事については原文にも、分析記録にも案外あっさりとしか書かれていない。この時彼は26歳で、父親はすでに死んでいた。そのせいかどうか、この思いつきによってL氏が(少なくとも意識的には)ひどく自分を責めたりすることはなかったようである。ちなみに、相手は例の恋人ではなかったようだ。彼は、愛する女性に対しては全然性欲を感じず、もっぱら身分の低い女性などを性欲の対象にしていた。

[14] ここの説明はいまひとつよくわからなかった。

[15] ここの所も少々わかりずらいが、誤りの仮定に基づく命令はナンセンスであるということか。

[16]小見出しによる区切り方が、ここからは原文と異なっている。

[17] これに対して後の理論では、幼児期の外傷体験は実際の出来事であったというよりも、小児による空想であったという点に強調点が移っていく。さらに、すべての人が普遍的に抱く空想として、エディプス葛藤が強調され、それにより形成されるエディプス・コンプレックスの理論が提示される。しかし、後の理論のほうが必ずしもすべての面ですぐれているとは限らない。最近では、幼少期の性的虐待が非常に多くの精神障害の原因となることがあきらかにされており、初期論文においてこのことにいち早く注目していたフロイトがいかに慧眼であったかを思い知らされるのである。

[18] 当時フロイトが分析治療を行った13症例(男2:女11)のすべてにこのような、実際の性的虐待があったという。

[19] 鼠男論文ではこのような欠点を補い完璧な理論が展開されるのか、というとそうではない。いくつかの示唆に富む重要な指摘がなされ、それによって疾患についてのより深い洞察へと踏み込んで行きはするのであるが、最終的な結論がわかりやすい形で提示されるということはない。初期論文における疾患理論のような明快さを求めると失望するであろう。真実は簡単ではないということか。

[20]例えばL氏が「父の死を望む」という「願望」を「単なる思いつき」にすぎないと認識した際の思考過程。このレジメの8ページを参照。

[21] 「防衛神経精神病」とその続編では、ヒステリー、強迫神経症、パラノイアを外傷に対する防衛から生じる疾患として、防衛神経精神病と呼んだ。

[22] 中でもフロイトが重視しているのが、省略の技法である。

[23] このレジメの13ページを参照。

[24] ひとつにはこれはキリスト教の影響かもしれない。他の宗教すなわちユダヤ教やイスラム教は、具体的な行動の規範の遵守を信徒に要求する。これに対してキリスト教では、行動よりも内なる善を重視する。ユダヤ教の律法学者たちが律法の遵守ばかりを追求して精神的には堕落している様子を、イエスは「偽善者」であると痛烈に批判していた。L氏は無心論者であるが、欧米の精神的風土にはキリスト教的な考え方が浸透しており、合理的な精神を教えられて育った彼の考え方にも大きく影響していると考えられる。宗教と強迫神経症との関係については、フロイトもその後研究を進めているが、あまりに大きなテーマであるのでまた機会のあるときに考察しよう。

[25] フロイトは後にこの対立を、ブロイラーの言葉をかりて「アンヴィバレント」と呼んだ。

[26] この論文でのこのあたりの記述は曖昧でよくわからないが、あえて解釈すると次のようなことを暗に言っているようにも思える。愛と憎しみの対立は、エディプス葛藤という三者関係の成立するよりも前にすでに存在しており、エディプス葛藤の結果生じたというよりは、むしろ二者関係における感情のありかたの根本的な特徴である。すなわち「愛があればそこには憎しみがある」というのはより根源的な法則である。

[27] 「退行」という言葉はわれわれもよく用いるが、フロイトが最初に用いたときの定義はこのようなものであった。さらに『夢判断』の中では、3つの退行を区別している。「なお退行についていっておきたいのは、退行は神経症的症状形成の理論においても夢理論におけると同様の大きな役割を演ずるということである。そこでわれわれは、退行に三種類のものを区別する。第一、ここに展開させたΨ組織の図式の意味での場所的退行。第二、過去の心的形成物へのたち戻りを問題にするかぎりでの時間的退行。第三、原始的表出方法や描写方法が普通の表現・描写方法の代理をつとめる場合の形式的退行。しかし、すべてこれらの退行は結局のところ同じものであって、多くの場合いっしょになっている。なぜなら時間的に古いものは、同時に形式的に原始的なものであり、そして心的局在性においては知覚末端の近くに位置しているからである。」(『夢判断』新潮文庫下巻308ページ)

[28] 念のために指摘しておくと、「思考過程の性愛化」というのは「卑猥なことを考えて楽しむ」といったことではない。後者は単に、「思考内容」が性愛的であるというだけである。考えているだけで行動していないことには違いないが、この場合には性的快感は思考の内容に付随して生じるのである。これに対して、「思考過程の性愛化」というのは、考えるということ自体が性行為のように、というよりむしろ、マスターベーションのように快感をもたらすようになることである。

[29] S・フロイト著『トーテムとタブー(1913)』や同『不気味なもの(1919)』を参照。

「フロイト研究会」トップへ