第3日 しくじり行為


 前回は、無意識について知るのに格好の身近な題材として、夢について勉強
しました。ところで、夢というのは身近な題材には違いないのですが、実際に
それを分析するのは以外にむずかしいものです。そこで今回は、夢と同じくら
い身近で、たぶんもう少し考えやすい題材として「しくじり行為」を紹介しま
しょう。


 みなさんは、毎日の生活の中でちょっとした言い間違えをしたり、人の話を
聞き間違えたり、あるいは人やものの名前をど忘れしてしまった、ということ
はありませんか。こういうことは一見どうでもよさそうなことに思えますが、
フロイトはこうしたしくじり行為の中に重要な意味が隠されていると考えまし
た。
 それでは、さっそく彼の挙げた実例をいくつか紹介しましょう。以下のもの
は、フロイトの著作『精神分析入門』に書かれているものです。


言い間違いの例1
 ある教授が、就任演説で「もっとも尊敬する先任者の業績を高く評価するこ
とに、私は気がすすんでいる(ドイツ語geneigt)ものではありません。」と言
った。(本当は「私はふさわしい(ドイツ語geeignet)ものではありません。」
と言おうとした。)
 ――この教授は、前の教授のことを内心あまりよく思っていなかったために
このような言い間違いをしてしまった。


言い間違いの例2
 ある衆議院議長は会議を開くにあたって「諸君、私は議員諸氏のご出席を確
認いたしましたので、ここに閉会を宣言します。」と言ってしまった。(もちろ
ん、本当は「開会を宣言します」と言うはずだった。)
 ――議会の状況が思わしくないと思っていた議長は、議会が早く終わってし
まえばよいと望んでいたために、上記のような言い間違いをしてしまった。


もの忘れの例1
 Y氏はある婦人に恋したがうまくいかず、その婦人はまもなくX氏と結婚し
てしまった。Y氏はかなり以前からX氏と知り合っており、商売上の関係さえ
あったが、くりかえしくりかえしX氏の名前を忘れて、X氏に便りをしようと
するときには、いつもそばにいる人に尋ねなければならなかった。
 ――Y氏は明らかに、この幸福な恋敵を忘れたいのです。「彼のことなんぞ考
えるものか」というわけです。


もの忘れの例2
 ある若い人が私に話してくれたことがあります。「2、3年前、私ども夫婦の
あいだに意見のあわないことがあるました。私は妻が冷たすぎると感じたので
す。もちろん、妻のすぐれた特性はよろこんで認めていましたが、たがいにや
さしい気持ちをもてないままに生活していたのです。ところがある日、妻が散
歩の帰りに書もとを1冊買ってもってきました。きっと私が読みたいだろうと
思ったのでしょう。私はこの『心づかい』のしるしに感謝し、読んでみようと
約束して、しかるべき場所にしまっておいたのですが、どうしても見つからな
くなってしまったのです。歳月がすぎました。私も、時おりはこの行方不明の
本を思い起こしましたし、それをさがしだそうともしたのですが、しかしむだ
でした。半年もたったときです。別居していた私の母が病気になり、妻は家を
離れて姑を看病に行きました。病人は重態でしたが、それが妻のすぐれた面を
あらわす好機になったのです。ある晩のこと、私は妻の働きぶりに感動させら
れ、妻への感謝の気持ちでいっぱいになって帰宅しました。私は机に近寄り、
なんの気もなく、しかし夢遊病のときのような確かさで1つのひきだしをあけ
ました。するとその一番上にあれほど長いこと見つからなかった本が置き忘れ
られているのを見つけたのでした。」


やり間違いの例
 ついこのあいだのことですが、私は多くの同僚といっしょに、工科大学の実
験室で複雑な弾性に関する一連の実験にとりくんでいました。私たちがすすん
でひき受けた仕事ですが、予期した以上の時間がかかることになりそうでした。
ある日、私は同僚のF君と実験室にはいったのですが、この男は、こんなに長
時間くぎづけにされるなんて今日はなんて不愉快なんだ、家にはほかにもする
ことがたくさんあるのに、と言っていたのです。私としても同調するほかはな
いので、なかば冗談にその前の週にあった事件を暗にさしながら、『機械が働か
なくなってくれれば、仕事を中断して早く帰れるんだけど』と言いました。
 仕事の分担をきめて、F君は圧縮器のバルブを調節する係になったのです。
注意してバルブをあけながら、圧液を貯水タンクからゆるやかに水圧プレスの
シリンダーに流しはじめたのでした。実験のリーダーは圧力計のそばに立って
いて、ちょうどよい圧力になったところで、『やめ』と叫びました。この命令を
きくと、F君はバルブをつかんで力いっぱい左まわしに(バルブは例外なく右
まわしにまわして締めるものです)まわしてしまったのです。そのために、貯
水タンクの全圧がいっきょに圧縮器にかかり、導管は調整されないままでした
から、管の連結部はたちまち破裂してしまいました。――どうということもな
い機械の故障でしたが、ともかくその日の仕事はやめということになり、帰宅
せざるをえないはめになったのです。
 そのうえに、非常に特徴的なことは、その後すこしたってから、このことに
ついて話し合ったとき、私があのときたしかに言ったと記憶していることばを、
わが友F君は絶対に思い出せないことでした。


 興味のある人は、『精神分析入門』(新潮文庫など)の第1章から第4章を読
んでみたらいいでしょう。他にもたくさんの例がのっています。これらはみな
80年も前に出版された本に書かれているものですが、実に身近で新鮮なものに
思えませんか。みなさんも、日常的に同じ様な失敗を経験することがあるでし
ょう。また、テレビなどでも有名な俳優やアイドルが番組の収録で失敗した場
面を「NG特集」などと称しておもしろおかしく放送しています。
 ともかく、フロイトはこういったしくじり行為は単におかしいというだけで
はなく、その裏に重要な意図が隠されている、と考えました。その意図とは、
例えば最初の例では「前任の教授の業績を評価したくない」ということであり、
2番目の例では「議会を早く閉会したい」という思いです。(その他の例ではど
ういうことになるのか、考えてみてください。)このような隠された意図は、お
おっぴらには言えないような性質のもので、だからこのような言い間違いをし
た人々に「本当はそう思っているのだろう」とつめよっても、おそらくは否定
するでしょう。「とんでもない、それは単なる言い間違いで、本当はこう言おう
としたのさ。」と答えるに違いありません。
 これらの隠された意図というのは、公言しにくいような内容のものだからこ
そ、当人は決して言うまい、あるいはするまいと思っているのです。多くの場
合、それは当人の意識からも閉め出され、抑圧されているのです。しかし、こ
れらの押さえつけられ表現を禁止された意図は、しくじり行為という抜け道を
使って自己表現をしようとするのです。
 ですから、私たちが毎日どのようなしくじり行為をするのか、よく観察しそ
れについて注意深く考えれば、無意識の中にある隠れた意図や考えを知ること
ができるかもしれません。(もっとも、自分のことは棚にあげて他人の言い間違
いや失敗ばかりを分析していたのでは嫌われてしまうでしょうけどね。)
 フロイトが、しくじり行為を無意識について知るための重要な手段のひとつ
と考えたのはこういった理由によるのです。


 今回はこれでおしまい。なに?手抜きだって?まあ、こういう回もあってい
いでしょう。


参考文献
『日常生活の精神病理』1901 著作集4 ここであげたようなしくじり行為の
例がたくさん載っています。
『機知について』1905 著作集4 機知、冗談、ユーモアといったものが、い
かにして人を笑わせるのか。豊富な実例じたいが楽しく、特にユダヤ人の笑い
話が傑作。後半の理論編はかなり難解ですが。
『精神分析入門』(1917)著作集1、新潮文庫()その他に収録


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