第9日 期末試験


問い)次の文章の(   )にあてはまる言葉を記入しなさい(同じ記号の括弧
には同じ言葉が入ります)。

    (a.  )学の開祖であるジクムント・フロイトは、1856年にオーストリ
アのフライブルクに産まれ、最初は神経解剖学の研究をしていた。彼は、パリ
のサンペトリエール病院でシャルコーの(b.  )についての研究を見てか
らこの疾患に興味を持つようになった。ウィーンに帰って開業し、自ら
(b.  )患者の治療にあたり、年上の医師ブロイアーとともにこの疾患に
ついての研究結果を『(b.  )研究』(1895年)という著書にまとめた。 こ
の本によれば、(b.  )は当時考えられていたように想像の産物でもなけれ
ば子宮の異常からくるものでもないという。(b.  )の原因は、患者の意識
から切り離された外傷体験の記憶であり、その記憶に結びついた強い感情がい
ろいろな身体症状に移し変えられたものが(b.  )症状なのである。ブロ
イアーは、催眠をもちいたカタルシス療法によってこの疾患を治療していたが、
フロイトは後にこの方法を改良して(a.  )療法を産み出した。
 実際の(a.  )の作業は非常に根気のいる仕事である。治療をすすめる
うちに、患者の心の中には分析の進行を妨げようとする気持ちが働くようにな
る。このような傾向を(c.  )と呼ぶ。(c.  )はあらゆる形をとって
現れるが、その中でもとりわけ重要なのが(d.  )である。これは、治療
関係の中で生じてくる、患者の治療者に対するふつりあいな程に強い感情(愛
情や憎しみ)であり、多くは患者の幼少期の重要な人物(父や母)に対する感
情が投影されたものである。
 フロイトは新しい治療法によって、(b.  )やその他の神経症の治療をし
ていくうちに、それらの原因が、患者の意識から切り離された、すなわち患者
の(e.  )の中にある記憶や考えにあることに気がついた。これらの記憶
や考えは、患者の幼少期の外傷体験あるいは空想(ファンタジー)であり、彼
にとって受け入れがたい程に不愉快なものであるために(f.  )された(意
識から追い出された)ものである。それらは、現在の患者には意識されてない
が、それでいて彼の心の中で働き続けてさまざまな症状を作り出しているので
ある。
 (e.  )を研究するのに、誰にでも手にはいる身近な題材がある。それ
はわれわれが寝ているときにみる(g.  )である。フロイトは(g.  )
についてはじめて学問的で体系立った研究をし、『(g.  )判断』(1900年)
という著作を発表した。 この本によると、(g.  )を見るということは、
隠された真の(g.  )の思想(潜在思想)から、実際に私たちが見る顕在
内容を作り出す(h.  )の過程であり、隠された願望が、検閲を逃れるた
めに(i.  )を受けながら(j.  )される過程であるという。
 神経症の分析と、患者やフロイト自身の(g.  )の分析を通じて分かっ
たことは、人間の心には本人自身の気づかない(e.  )の部分が豊かに存
在するということであった。そして、この(e.  )の内容は、幼児的なも
の、性的なものに密接に結びついていることが明らかになった。こうして、フ
ロイトは人間の性について研究を進めた。1905年の『性欲論三篇』では、性的
な異常すなわち(k.  )について述べ、さらに(l.  )の性欲につい
て論述している。この中で、正常とされる者の性生活が、性的異常者のそれと
共通性を持っていることが明らかになり、また人間の性の発達が他の動物に比
べると特殊なものであるという
 人間と他の動物の違いは、動物の行動が本能に基づくワンパターンなもので
あるのに対して、人間の行動は複雑な心理過程の結果であるということである。
その複雑な心理過程の原動力となるものが(m.  )である、とフロイトは
考えている。基本的な(m.  )として、(n.  )と(o.  )が定義
されている。このふたつの力が、「心の装置」を動かし、そこにさまざまな葛藤
やドラマが生まれるのである。
 では、その心の装置はどのような構造になっているのか。フロイトは最終的
には心を3つの体系に分けてとらえようとした。(p.  )は、人間の心のも
っとも原始的な部分であり、(e.  )的でありさまざまな(m.  )が渦
巻いている。(q.  )は、知覚や運動の制御といった重要な機能をもち、人
間の心の中心にあって全体をまとめる。(q.  )は大部分が意識的であるが、
(e.  )的な部分もあり、その部分は防衛機制によって葛藤からくる不安
から心を守る役割を持つ。(r.  )は、人間の心の「内なる良心」であり、
(q.  )にとっての理想である。
 フロイト以後、彼の影響を受けて発達した心理学にはおおまかに言ってふた
つの大きな流れ、すなわち(q.  )心理学と(s.  )論とがある。こ
のふたつは、人間の心の原動力として、(m.  )と(s.  )とどちらを
より根元的なものとするか、という基本的な仮定において異なっている。



付録 フロイトの生涯と著作

J.ストレイキー著
重元寛人訳

 以下の年譜は、フロイトの思考の発展の過程をおおまかに追っている。あわ
せていくつかの生涯の重要な出来事のついても記してある。

1856.5/6 モラビアのフライブルクに生まれる。
1860. ウィーンに移住
1865. ギムナジウムに入る。
1873. 医学生としてウィーン大学に入学。
1876-82. ウィーンの生理学研究所でブリュッケのもとで働く。
1877. 最初の著作:解剖学と生理学の論文。
1881. 内科医として大学を卒業。
1882. マルタ・ベルナイスと婚約。
1882-5. ウィーン・ジェネラル・ホスピタルで働く:数多くの著作。
1884-7. コカインの臨床利用に関する調査。
1885. 神経生理学の大学講師の資格を得る。
1885.10-1886.2 パリのサルペトリエールでシャルコーのもとで研究生となる。
1886. マルタ・ベルナイスと結婚。ウィーンで神経疾患に関する個人的な研究
  を始める。
1886-93. ウィーンのカソビッツ研究所で神経学、特に小児の脳性麻痺の研究を
  し、著作も多数。神経学から精神病理学に徐々に関心が移っていく。
1887. 最初の子供(マチルダ)。
1887-1902. ウィルヘルム・フリースとの友情と文通。この時期の彼への手紙は、
  フロイトの死後、1950年に出版され、彼の見解の発展を知る上で非常に役立つ。
1887. 催眠による暗示を臨床に応用。
補.1888. ブロイアーに習い、ヒステリーのカタルシス療法に催眠を使うよう
  になる。徐々に催眠療法から自由連想法を用いるようになった。
1889. ベルンハイムのナンシーを訪れ、暗示技法を学ぶ。
1889. 長男(マーチン)の誕生。
1891. 失語に関する論文。
  次男(オリバー)の誕生。
1892. 三男(エルンスト)の誕生。
1893. ブロイアーとフロイトによる『予報』の出版。ヒステリーに関する外傷
  理論とカタルシス療法を発表した。
  次女(ソフィー)の誕生。
1893-8. ヒステリー,強迫症,不安に関する調査と小論文。
1895. ブロイアーとの共著『ヒステリー研究』:症例提示とフロイトによる技法
  の説明。はじめて転移について触れる。
1893-6. フロイトとブロイアーの見解に徐々に相違が生じてくる。フロイトは防
  衛と抑圧の概念を導入。
1895. 『科学的心理学草稿』:フリースへの手紙の一部で、1950年に初出版さ
  れた。心理学を神経学の術語で論じようとして失敗に終わったものである
  が、後の作品の原型を多く含んでいる。
  末子(アンナ)の誕生。
1896. “精神分析”という用語を導入。
 父の死(80歳)
1897. フロイトの自己分析。外傷理論を廃し、小児性愛とエディプス・コンプ
  レックスの認識にいたる。
1900. 『夢判断』:最終章では、フロイトの精神活動に対する力動学的視点、無
  意識、そして“快楽原則”の支配についての完全な説明が展開されている。
1901. 『日常生活の精神病理学』:夢に関する著作とともに、フロイトの理論が
  病的な状態だけでなく正常な精神生活にもあてはまることを明白にした。
1902. 特別教授に任命される。
1905. 『性欲論三篇』:初めて、人間の性欲動が小児から成人までの間に発達す
  る過程を描写した。
補.1906. ユングが精神分析に賛同する。
1908. 精神分析に関する初めての国際会議。(ザルツブルグ)
1909. フロイトとユングがアメリカに講演のため招かれる。
  最初の小児の分析例(5歳の少年ハンス):それまでに成人の分析から得ら
  れていた仮説を再確認。とくに小児性欲とエディプス・コンプレックスと
  去勢コンプレックスについて。
補.1910. 初めての“ナルシシズム”についての理論。
1911-15. 精神分析の技法に関する論文の数々。
1911. アドラーの離反。
  精神分析理論を精神病の症例に応用:シュレーバー博士の自伝。
1912-13. 『トーテムとタブー』:精神分析の人類学的な素材への応用。
1914. ユングの離反。
  『精神分析運動史』:アドラーとユングに対する反論の章を設けている。大
  きな症例としては最後の“狼男”を書く。(出版は1918年)
1915. 基礎的理論的問題についての12個の“超心理学的な”論文を記す。5つ
  のみが残存している。
1915-17. 『精神分析学入門』:第一次大戦の頃までのフロイトの理論について包
  括的に分かりやすく説明する。
1919. ナルシシズム理論を戦争神経症にあてはめる。
1920. 次女の死。
  『快感原則の彼岸』:“反復強迫”の概念と“死の欲動”の理論を、初めて
  明確な形で導入した。
1921. 『集団心理学と自我の分析』:自我に関する体系的で分析的な研究の始め。
1923. 『自我とエス』:心をエス、自我、超自我と三つに分割し、心の構造と機
  能についてそれまでとは大きく異なった説明をした。
1923. 癌の初発。
1925. 女性の性的発達についての見解の修正。
1926. 『制止・症状・不安』:不安の問題についての見解の修正。
1927. 『ある幻想の未来』:宗教についての議論。一連の社会学的著述の最初の
  もの。
1930. 『文化への不満』:破壊欲動(“死の欲動”の表出としての)についての
  初めての包括的な考察を含む。
  フランクリン市によりゲーテ賞を授けられる。
  母親の死(95歳)
1933. ドイツでヒトラーが政権を掌握。ベルリンではフロイトの著作が公衆の
  面前で焼き払われた。
1934-8. 『人間モーセと一神教』:フロイトの生存中に出版された最後の著作。
1936. 80歳の誕生日。英国学士院の名誉会員に選ばれる。
1938. ヒトラーによるオーストリア侵攻。フロイトはウィーンを去りロンドン
  に亡命。
  『精神分析学概説』:最後の、未完の、しかし深遠な精神分析についての説明。
1939.9/23 ロンドンにて死去。

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