第4日 性と発達についての理論
さて、いよいよフロイトの精神分析学のなかでも、中心的な位置をしめる性
についての理論を勉強します。一般にフロイトというと、「心の問題をなんでも
セックスに結びつけて説明した」という様に思われがちなようです。確かに彼
は、神経症の人や正常な人の心について説明するときに、性の問題を非常に強
調しました。これにはいくつかの理由がありますが、ひとつはフロイトが活躍
していたころ(19世紀の終わりから20世紀のはじめ)のヨーロッパ社会では、
現在の日本社会などに比べるとはるかに性に関する道徳がきびしかったという
ことがあげられます。こういう性に対して禁欲的な風潮のなかでは、「神経症の
原因は性的な問題にある」というフロイトの主張はなかなか理解されず、それ
ゆえ彼もこの問題を強調せざるをえなかったのでしょう。それともうひとつ重
要な点は、フロイトの考える「性」というものが、一般に考えられイメージさ
れている「性」よりも、もっと広い意味をもつものであったということが言え
ると思います。
フロイトの性についての考えについて説明する前に、いままで勉強したとこ
ろを簡単にまとめておきましょう。フロイトはまず、ヒステリーという神経の
病気について研究しました。そしてその治療のために、精神分析という方法を
考案しました。この方法を使って、多くのヒステリー患者やそのほかの神経症
患者を治療していくうちに、これらの病気の原因が性的な問題にあることが分
かってきました。フロイトの主張は次のようなものです。これら神経症の患者
は、ふだんは意識されない(無意識的な)記憶が原因で生じたものである。そ
の記憶は幼少期の性的なことがら(外傷体験や空想)の記憶であり、それは後
に患者の自我(意識された「自分」)にとってあまりにも不愉快であったために、
抑圧されて(意識の中から無理やりおいだされて)しまった。抑圧されたもの
は、患者には意識されないが、いぜんとしてその心の中で働き続けており、い
ろいろな症状を作り出す。
フロイトは神経症の人の心についてだけでなく、正常な人の心理現象につて
も研究しました。つまり夢です。フロイトは多くの夢を分析し、夢にはその表
面的な内容(顕在内容)の裏に隠された本当の内容(潜在思想)があることを
つきとめました。この潜在思想について調べてみると、それらが性的なものや
幼児的なものと密接な関わりをもっていて、そのために抑圧されたものだとい
うことも分かってきました。
このように、神経症と夢というものを研究するうちに、フロイトはおたがい
に密接に関連しあったいくつかの問題にぶつかりました。それは、無意識のも
の、抑圧されたもの、性的なもの、幼児的なものとはなにかという問題です
今回は、この問題についてのフロイトの考えを紹介します。
フロイトは1905年に発表した『性欲論三篇』という著作の中で、性欲につい
て体系的に述べています。この著作の論旨にそって話を進めて行きましょう。
正常な性生活とはなにか
正常なセックスとはなにか。これは重大な問題で、簡単に答えられるもので
はありません。しかしなにが正常かとりあえず決めておかないと話が進まない
ので、まずはおおまかな定義をしておきます。フロイトは、性生活においてそ
の人が「誰と」、「何を」するか(あるいはしたいと思うか)ということに注目
しました。性行為の本来の目的が子供を作ることにあることを考えれば、正常
なセックスを以下のように定義してさしつかえないでしょう。それは、「(1)成熟
した異性と」、「(2)性器どうしを合体させる」ということです。
なんでこんなことを定義するのかといえば、世の中にはこのような性交とは
違った「異常な」性交を望んだり、実際に行ったりするひとがいるからなので
す。そのような性行為を「倒錯」、それを好む人を「倒錯者」と呼ぶことにしま
す(
この定義によるといわゆる「同性愛」やそれに伴う性行為というものは異
常なもの、ということになってしまいます。フロイトの時代の欧米社会ではそ
うでした。でも、例えば現代の先進諸国では「同性愛も正常な愛の形のバリエ
ーションであり、これを倒錯と呼ぶのは偏見である」という考えが主流となっ
ています。このように、セックスについてなにを正常としてなにを異常とする
かは、時代により社会により変わる相対的なものです。)。
倒錯について
まず性の倒錯について話から。と、言うと、「なんで異常なものの話から始め
るんだ?順序が逆じゃないか。まずは正常なものについて詳しく勉強するのが
先じゃないか。」と反論されそうです。でも思い出してみてください。そもそも
精神分析は異常な精神の研究から始まって、後になってその研究成果が正常の
人の心を知るうえにも非常に役立つことが分かったのでした。異常なものを研
究すると、正常なものについてよく分かってくる、こういうことはよくありま
す。正常なものだけを見ていたのでは、あたりまえすぎて問題点がつかみにく
いからです。
倒錯の分類
フロイトの分類にしたがって、どんな倒錯行為があるのか、並べてみましょ
う。
(1)「誰と」するかについての変異(性対象倒錯)
(a)同性との性行為
(b)幼児との性行為
(c)動物との性行為
(2)「何を」するかについての変異(性目標倒錯)
(d)口を使った性行為
(e)肛門を使った性行為
(f)フェティシズム(本来は性交と関係のない身体部位{例えば髪の毛}
や物質{例えば下着}などに過度にこだわること)
(g)覗き見症と露出症
(h)サディズム(痛めつけること)とマゾヒズム(痛めつけられること)
ただし、(2)の場合は、その行為が正常な性行為にとってかわってしまい、正
常な性交ができなくなってしまう場合のみ、「倒錯」と呼びます。
ずいぶんいろいろな倒錯があります。また、特に(2)の方を見て気がつくのは、
似たような行為が正常な性行為の中にも取り入れられているということです。
ここでもう一度なにが正常な行為か、ということを考えてみましょう。性交
の本来の目的が子供を作ることであると考えれば、そのために最低限必要な行
為は「男性器と女性器を合体させ、精液を女性の膣内に放出すること」です。
動物の交尾というのは、この最低限の行為に近い、シンプルなものです。それ
に比べると人間の性交は、最初から妊娠を目的としないような場合があります。
そしてその内容も動物の場合と違って、直接妊娠に関係ないようないろいろな
行為が混ざっています。そう考えると、人間の性生活は、正常な場合にもある
意味で「倒錯的」であると言えるかも知れません。
なぜ、人間の性行為は動物の交尾とこうも異なるのか。それは、人間とはな
にかとういう、哲学的な問いにもつながる問題です。そのヒントは、人間の性
欲がたどる独特な発達過程にある、とフロイトは考えました。
小児の性欲
「子供にも性欲がある!」このようなフロイトの主張に、当時の人々はどん
なにびっくり仰天したことでしょう。性に関して比較的自由な社会にすむ私た
ちからみても、とっぴに思える考えです。小児にも性欲が存在する、それだけ
でも驚くべきことですが、さらに彼は、小児の性欲を成人してからの性生活以
上に重要なものと位置づけたのです。
彼の考えは次のようなものです。人間の性欲は生まれた直後からその発達を
開始する。さまざまな変遷をとげ、5歳くらいまでに一応の完成を見ます。そ
の後、小児の性欲は一時その姿を隠し(潜在期)、思春期になってから再び活動
を始めるのです。5歳頃までの性欲の発達については成人してからはほとんど
覚えていないのが普通ですが、その過程に障害があった場合には、成人として
の性生活に異常をきたしたり、神経症になりやすい素因になったりします。ま
たこの時期の性の発達における個人差が、その人の人格形成の基盤にもなりま
す。
5歳頃までの性の発達過程
おおまかに3つの段階(3つの性的な体制)に分けて考えます。
(1)口唇的体制(生後〜1歳:指などをおしゃぶりすることの快感{口唇愛}を
しきりに追求する時期。)
(2)肛門的体制(1歳〜2歳:大便をためたり出したりすることが快感{肛門愛}
と感じられ、そのことに執着する時期。)
(3)男根的体制(3歳〜5歳:ペニス、クリトリスを手でいじること{小児のマ
スターベーション}が快感となる時期。)
この3つの段階をまとめて見た場合に、小児の性生活は、成人の性生活に比
べて以下の点が特徴的といえます。
(1) 自分だけで満足をえる。(自体愛的である、という)
(2)ばらばらでまとまりがない(ばらばらの欲求を部分欲動と呼ぶ)
(3)いろいろな倒錯的な行為(口唇愛・肛門愛・性器いじり以外にも覗き見るこ
と、露出すること、残酷な行為など)を好む(多型倒錯的であるという)
小児による性探求
上記の時期に重なりますが、3歳から5歳くらいになると、小児はいろいろ
なことに興味を持ち、何でも知りたがるようになります。このような、「知識欲」
の中心は性的な問題に向けられ、なかでも重要なのが「子供はどこから生まれ
るのか」という疑問です。
最近では「性教育」といって、なるべく小さいうちから子供に性についての
「本当のこと」を教える必要性がいわれています。(フロイトは当時から先進的
にその必要性を説いており、今日の性教育の流れに貢献しているといっていい
でしょう。)それでも、こんなに小さい子供から性的なことについて質問された
ら、親としてはどうしても口ごもってしまう場合が多いのではないでしょうか。
とても知りたい疑問に対して大人が答えてくれないということで、子供はひと
りでこの疑問を追求せざるを得ず、それに対して独自の答えを空想します。そ
れが「小児の性理論」です。
小児の性理論には、ある程度普遍性があります。つまり、多くの子供が共通
して抱く空想というのがあります。
ひとつは、これは男の子に多いのですが、「女性もペニスを持っている」とい
う考えです。この考えはやがて間違いとわかり、それが男の子に虚勢不安を引
き起こす要因となります。また、男性のフェティシズム的傾向、すなわち女性
の下着その他に執着する態度は、空想された女性のペニスへの思いから生じる
というのがフロイトの理論です。
もうひとつの理論は、「子供は肛門から生まれる」というものです。この考え
は、無意識において「子供=糞便」という連想を強化します。
さらに、「性交についてのサディズム的解釈」というのがあります。これは、
小児からみると、両親の性交は父親が母親を虐待しているかのように理解され
るということです。
潜伏期(6歳頃〜12歳頃)
この時期になると、それまでに発達した性欲はめだたなくなります。これは、
ひとつには大人達からの「そんなことをやってはいけません」といった教育の
成果ですし、もうひとつは子供自身が性に関してある種の挫折を経験すること
によると思われます(これについては後述します)。
この時期にも性欲はなくなったわけではありません。性のエネルギーは、遊
びや勉強などほかの目的に使われるようになります(昇華)。
性器期(12歳以降)
思春期のおとずれとともに、それまで隠れていた性欲が再び活動をはじめま
す。この段階での発達課題は、幼児期にばらばらだった性欲を、まとまった行
為(性交)に対する欲望にまとめあげることです。また、幼児期の性生活は大
部分、自分だけで満足を得るものでしたが、成人の性生活では、共に性行為を
する相手(対象)を求めるようになります。
そこで、ひとを「愛する」ということが問題になってきます。
愛情の発達と自己愛(ナルシシズム)
性欲と愛情は密接に関わりのあるものですが、同じものではありません。こ
の2つがどういう関係にあるのか、あいまいで結局のところよくわかっていま
せんが、フロイトの考えをおおまかに述べてみましょう。
愛情は、その発達過程において性欲の発達と密接な関係をもちながらも、独
自の道を歩みます。まず、小児は自分自身を愛します(自己愛=ナルシシズム)。
自分は万能のすばらしい存在だと思います。このような愛を自己愛あるいはナ
ルシシズム(ギリシャ神話の主人公のナルシスの名に由来)といいます。
しかしやがて小児は、自分が実は非常に弱い存在で、お母さんがいないとな
にもできないのだということに気づきます。この心細さから、小児はお母さん
に助けを求め甘えるようになります。つまり、母親を「なんでもかなえてくれ
るお母さん」と理想化し、依存するようになるわけです。これが他人に対する
愛の始まりであり、対象愛と呼びます。自分自身を愛する愛と(自己愛)、お母
さんを愛する愛(対象愛)と、この2つが人間の愛の基本形になります。われ
われ人間は、一生の間にいろいろな人を好きになりますが、その「好きだ」と
いう感情の原型は、小児期における2種類の愛の形にあるといってもよいでし
ょう。
さて、話を少し戻しましょう。口唇期から肛門期そして男根期と発達してき
た小児の性欲が、どうしていったん影を潜めて潜伏期になるのかという問題で
す。また、口唇期から男根期の、いわゆる「小児性欲」については、多くの人
はほとんど覚えていないのですが、それはなぜでしょうか。
そのことについて、上の説明では「子供自身が性に関してある種の挫折を経
験する」といいました。フロイトは、子供にとっての性に関する挫折を、エデ
ィプス願望と去勢不安ということで説明しようとしています。
具体的な例として、フロイトが分析した5歳の少年ハンスについて紹介しま
しょう。
少年ハンス
ハンスは、幸福な家庭で両親に愛されて育った腕白な男の子です。ハンスは
心身とも健康に育っていましたが、もうすぐ5歳になるころから、家の前の通
りにある倉庫にいる馬車馬が恐くなり、通りに出ることもできなくなりました。
ハンスは、馬に噛まれるのが恐いと言いました。また彼は乗り合い馬車の馬が
倒れたときにそれを見てとてもびっくりし、それから馬が恐くなったのだと言
いました。
ハンスの症状は、成人であれば「恐怖症」というれっきとした病気のひとつ
ですが、このくらいの子供ではこういった軽い神経症的な症状がみられること
はさほどめずらしくありません。フロイトは、彼の症状について次のように分
析しました。
ハンスはお母さんを自分だけで独占したいと思っており、そのために父親が
じゃまだと感じている(もっとはっきり言えば父親が死んだらいいと思ってい
る)。これが彼のエディプス願望。一方では、ハンスには父親に対する愛着もも
ちろんあり、また父親をじゃまに思うことで強大な父から復讐されることを恐
れている。もっと具体的にいえば、父親から去勢される(ペニスを切り取られ
る)ことを恐れている。これがハンスの去勢不安である。
ハンスにかぎらず、この年頃になると男の子は母親を独占したいと思い、父
親をじゃまな存在と感じるとフロイトは考え、このような感情をエディプス願
望、それが無意識のコンプレックスになったものをエディプス・コンプレック
スと呼びました。ところで、エディプスというのは、ギリシャの劇作家ソフォ
クレスが書いた有名な悲劇の主人公です。少々寄り道になりますが、その物語
についてお話ししましょう。
エディプスの物語
テーベの王レイアスと王女ジョカスタに、ある予言者が不吉な予言をした。
「2人の子供は成人した後、父を殺し母をめとるであろう」というものだ。や
がて男の子が生まれたが、その子は山の中に捨てられた。その子、エディプス
は羊飼いに助けられて成人し、家をでて放浪する。彼は旅の途中で見知らぬ男
に会い、口論の末に殺してしまうが、これが実はレイアス王であった。
エディプスがテーベにたどりついたとき、この国は怪物スフィンクスの恐怖
におびえていた。この怪物は、謎を出して答えられない者を食べてしまうので
あるが、エディプスはみごとにこの謎をとき、人々を救った。エディプスはテ
ーベの王となり、ジョカスタの夫となった。
しばらくは平和が続いたが、やがて悪い病気が国に蔓延した。予言者の言葉
が求められると、「病気はレイアス王を殺した者のせいである」という。調べて
いくうちに、エディプスは、自分が殺した「見知らぬ男」が実はレイアス王で
あり、そして自分はそのレイアス王とジョカスタの子供であることを知る。エ
ディプスはその罪を知って、自分の両眼を突き刺し、ジョカスタは自ら命を絶
った。
この紀元前に作られた物語が、多くの人々の心を感動させてきたのは、そこ
に人間の普遍的な願望があるからだ、とフロイトは考えました。すなわち、エ
ディプスの抱いたような願望は誰もがその幼少期に抱くものであり、それは去
勢不安によって抑圧されるが、その後も無意識の中にコンプレックスとなって
ひそみ、その人の性格や人生の目標を決めたり、あるいは神経症の人では病気
の原因になったりするのだと。
エディプス願望と去勢不安のはたす役割については、また後でも述べること
にして、今回はそろそろ終わりにいたしましょう。
参考文献
『性欲論三篇』著作集5,ちくま学術文庫『フロイト・エロス論集』などに収
録。後者の方が新しい翻訳です。
『ある五歳男児の恐怖症分析』1909年、著作集5 今回例にあげた「ハンス」
の症例報告です。