第1日 精神分析の誕生


はじめに
 このセミナーでは、これからみなさんと一緒に「精神分析学」という学問に
ついて学んでいきたいと思います。精神分析というのは、今から約100年前に
ジクムント・フロイトが作り上げたものです。精神分析はもともと精神疾患の
治療法のひとつですが、同時に心理学の重要な基礎学問でもあります。
 今日、治療法としての正統的な精神分析は一時期ほどには盛んに行われなく
なりましたが、その基礎となる概念や考え方は様々な精神医療の治療や看護の
中に取り入れられています。また、それらは精神医学を超えて社会学・哲学・
人類学など様々な分野の学問に影響をもたらしています。


 本日は、フロイトが精神分析学をはじめたいきさつを駆け足で紹介し、彼の
初期の神経症理論について簡単に説明したいと思います。では早速はじめまし
ょう。


 S・フロイトは、1856年にオーストリア・ハンガリー帝国のフライベルクと
いう都市に生まれました。4歳の時にウィーンに移り住み、生涯のほとんどをこ
の地で過ごしています。彼の父親ヤコプはユダヤ人の商人でしたが、彼自身は
医学の道をめざしてウィーン大学で勉強しました。
 彼は卒業後、ウィーン総合病院で医師としての訓練をするかたわら、脳の解
剖学の研究を行いました。そして1885年にはフランスのパリに留学し、サンペ
トリエール病院でシャルコーという有名な医師を師として神経の病気について
勉強しました。フロイトがシャルコーのもとで見たことの中で最も印象的だっ
たのは、「ヒステリー」という病気に関する彼の研究でした。


ヒステリーとは
 ヒステリーの語源は、ギリシャ語の子宮(hystera)です。麻痺、知覚消失、
けいれん、記憶の消失など、様々な症状をしめしながら身体的には何の異常も
認められない、一連の状態をいいます。この病気についての、当時の一般的な
見解には次のようなものがありました。


(1)ヒステリーは想像の産物であり、女性による演技にすぎない。


(2)ヒステリーは、女性性器の機能異常によりひきおこされる。


 これらの説に対して、シャルコーは異をとなえました。彼によれば、ヒステ
リーは想像の産物などでなく確かに実在する疾患です。男性のヒステリーも存
在しますから、女性性器の異常という考えもあてはまりません。また、彼はヒ
ステリーと似ている状態を催眠術によって人工的に作り出すことが可能である
ことを示しました。


 さて、フロイトは1886年にウィーンにもどって神経病の医師として開業し、
また以前から婚約していたマルタ・ベルナイスという女性と結婚しました。彼
はシャルコーから学んだことを生かし、自らもヒステリーの患者の治療にとり
くんで精力的に学会発表も行いました。けれども、それを聴いた人々の反応は
冷たく、彼はまもまく脳解剖学の研究室から閉め出されてしまいました。
 このころのフロイトは、ヒステリーの治療に催眠術による暗示を利用してい
ました。この方法はある程度の効果はあったものの、患者によっては催眠にか
からないなど、限界もありました。もっと良い治療方法はないかと考える彼に、
ヒントを与えてくれたのは、やはり開業医で14歳年上のヨゼフ・ブロイアー博
士でした。ブロイアーは、フロイトがパリへ行く前からある印象的なヒステリ
ーの患者についてフロイトに繰り返し話してくれていました。有名な「症例ア
ンナ・O」です。


症例アンナ・O(詳しくはフロイト著作集第7巻を参照)
 21歳で病気になった、聡明で意志の強い女性である。同情心にとみ、他人の
ために働くことになによりの生きがいを感じていた。きびしい家庭に育ったせ
いか、性愛的なことに未熟であり、男性と恋におちるなど考えられないような
ひとだった。単調な生活をおくるなかで、白日夢に熱中することが多かった。
 1880年の7月に愛する父が病気(胸膜周囲膿瘍)になり、彼女がつきっきり
で看病するようになった。看護しているうちに彼女はしだいに衰弱し、10月に
は激しい神経性の咳がおこるようになったため、ブロイアーのもとを受診し治
療を受けることになった。
 アンナの症状はますます悪くなり、12月には視点が定まらなくなり、ついに
は寝込んでしまった。その後も、後頭部の痛み、奇妙な視覚障害、四肢の麻痺
と感覚の消失など、さまざまな症状がおこってきた。また、彼女の意識状態は
分裂し、一方の意識状態の時は穏やかな性格なのに、それが突然別の意識状態
に変わると、周囲のことがわからず、幻覚を見て興奮し、汚い言葉をはいたり
ものを投げたりするのだった。しだいにひどい言語障害があらわれ、話す言葉
はばらばらで意味不明、時には2週間まったく無言のこともあった。
 ブロイアーはこれらの障害には精神的な原因があると考えた。彼女は、なに
かにひどく苦しめられているが、それについては何も言うまいと決心している
のではないか。ブロイアーがそのことを彼女に告げ、それについて語るように
勧めた。このときから彼女の症状は徐々に改善し、1881年の4月1日には病床
を離れることができた。
 4月5日に父が亡くなった。アンナはものすごい興奮状態になり、深い昏迷
状態が2日間続いた。その後、再びいろいろな奇妙な症状があらわれてきた。
周囲の人がすべて蝋人形のように見えて区別がつかなくなったり、母国語のド
イツ語が理解できず自分は英語を話すようになったりした。日中は、お化けや
骸骨、死人の首などのきみの悪い幻覚に悩まされ、午後からはうとうとと眠り、
日没の頃に催眠状態になった。この催眠状態の時に、昼間の幻覚について語る
ことができると、目が覚めたときには気持ちが落ちつき、ほがらかなアンナに
もどっているのであった。
 ブロイアーは、彼女が催眠状態にあるときに、彼女の個々の症状について、
それがいつからどんな風にしておこってきたかを根気よく話し合うようにした。
すると、すべての症状について、その原因となる心理的外傷(ひどくショック
な出来事)があり、しかもそれは全て、彼女が父の看病をした1880年の7月
から12月までの間に起こった出来事であるとわかった。ふだんは、彼女はこの
出来事についてまったく忘れているのだが、催眠状態にあるときはこのことに
ついて語ることができた。そして、この出来事について話すと、話している最
中に症状はもっともひどくあらわれ、そして催眠からさめたときにはすっかり
症状は消えてしまうのであった。
 例えば、彼女はわけもなく突然水を飲むことができなくなり、どんなに喉が
乾いても水が飲めないという状態が6週間も続いたことがあった。催眠状態の
とき、アンナはこの原因について次のように語った。ある時、嫌いだったイギ
リス婦人の使用人が飼っていた子犬が、コップから水を飲んでいたのを見つけ
たことがあった。「なんて汚い」と思い、この使用人を怒鳴りつけようかと思っ
たが、それもはしたないと我慢した。そのことが、ずっと心のわだかまりとな
って残っていたのだ。こう話すとアンナは急に水が飲みたくなり、おいしそう
にコップの水を飲んで催眠からさめたのであった。
 ブロイアーはこのようにして彼女のすべての症状を取り除いていった。彼女
の病状は徐々に軽快していったが、完全に健康になるにはなおしばらくの年月
を要した。


 フロイトはこの症例の病歴と、ブロイアーの行った新しい治療法(カタルシ
ス療法)に非常に興味をおぼえ、彼にヒステリーの病因と治療法についての本
を書くように勧めました。こうして出来上がったのが、ブロイアーとフロイト
の共著『ヒステリー研究』(1895年)です。(この本の内容については、人文書
院出版の『フロイト著作集第7巻』で知ることができます。ただし、症例アン
ナ・Oの記述以外のブロイアー執筆部分は掲載されていませんが。)


『ヒステリー研究』の論旨
 ヒステリーの原因は、心理的外傷体験(ひどくショックだった出来事)の記
憶である。この記憶は、驚くべきことにふだんは患者にまったく意識されてい
ない。つまり患者は意識の上ではその出来事を忘れてしまっている。しかし、
患者を催眠状態にしてやると彼はその出来事について語れるようになる。それ
どころか、ふつうの記憶よりもはるかに鮮明に、細かいことまで思い出すこと
ができるのだ。そして、その出来事が起こったときにどんな気持ちだったか、
ありありと再現されるのである。
 ふつうの記憶では、そのことが起こったときの気持ち、どんなに悲しかった
か、どんなにつらかったかといったことは、時間がたつにつれてだんだん記憶
から離れて、薄らいでくるものだ。悲しい記憶も時がたつと、涙なしに思い出
すことができるようになる。
 これに対して、ヒステリーの原因となっている記憶は、それが意識から切り
離されているために、その記憶にくっついた感情(例えば悲しいという気持ち)
が薄れることがない。この、外傷体験の記憶にくっついたまま薄れることがで
きないでいる感情が、身体の症状に置き換えられたものが、ヒステリー症状な
のである。
 したがって、この特別な記憶を催眠による暗示などをもちいて完全に細かい
ところまで思いだし、それにともなう強い感情に言葉をあたえて放出すれば、
(例えば「あのときはなんて悲しかったんだろう!」と言って泣く)ヒステリ
ー症状はたちどころに消失する。(カタルシス療法)
 どんな時にこのような特別な記憶が生じるのか。ヒステリーに似た状態を、
催眠中に暗示を与えることで人工的につくることができる。逆にヒステリーの
原因となる記憶が生じるのは、患者が催眠状態に似た状態――「類催眠状態」
にある時ではないか。こう考えると、ヒステリーになりやすい人というのは、
類催眠状態になりやすい素質を持った人であるということができる。


 催眠をもちいたカタルシス療法は画期的な方法でしたが、催眠がかかりにく
い患者もおり、また治療効果も患者によってむらがありました。そこで、フロ
イトはもっと効果的な方法はないかといろいろと試し始めました。まず、患者
を催眠にかけるかわりに、患者の額を手で圧迫し、気持ちを集中させて思いつ
くことを語らせるという方法(圧迫療法)を試み、ある程度の効果がありまし
た。さらに、圧迫もやめ、患者を寝椅子にすわらせてリラックスさせ、心に思
い浮かぶことをどんなにささいな無意味そうなものも残らず語らせることにし
ました(自由連想法)。こうして、精神分析の方法が確立されました。現在でも、
正統的な精神分析療法では当時とほとんど同じ自由連想法を行います。


抵抗
 実際の精神分析というものは、非常に困難な根気のいる作業です。自由連想
法のルールでは、患者(被分析者)は病気について話すときに心に浮かぶこと
はすべて治療者に報告しなくてはなりません。けれども、実際にやってみると
彼らは「こんなことは病気に無関係なことだ」とか「くだらない、どうでもよ
いことだ」などといろいろ理由をつけては話したがらないのです。また、病気
についてのいちばん肝心なところが思い出せなかったり、重要なことについて
何も思いつかなかったりするのです。あたかも、なにか分析の進行を妨げるよ
うな力が働いているかのようです。
 このような、被分析者の心の中にあって分析の進行を妨害しようとする傾向
を、「抵抗」と呼びます。精神の病気は複雑です。患者は病気によって不自由な
思いをしている反面、病気のおかげでいやな思い出を忘れていることができた
り、直面したくない現実から逃げることができたりしているわけです。つまり、
精神疾患をわずらった患者の心の中には「病気を治したい」という気持ちと同
時に「いつまでも病気でいたい」という気持ちがあることが多いのです。この、
「病気でいたい」という気持ちが患者の抵抗を作り出すわけです。
 抵抗を取り除いていく過程は、精神分析においてきわめて重要かつ困難な作
業といえましょう。逆に、このことさえうまくいけば「病気を治す」という目
的の半分以上は達成されているといってよいでしょう。そしてそれがうまくい
くためには、被分析者の側には自分の心をよりよく知ることによって病気を克
服しようという強い動機づけが、分析者の側には抵抗を弱めるための根気強い
働きかけと、患者の言葉の真意を知るための「解釈」の技法が必要になります。
 分析に対する抵抗はいろいろな形で現れてきますが、その中でもとりわけ重
要なのが「転移」と呼ばれるものです。


転移
 正統的な精神分析のやり方では、分析者はなるべく自分自身の個人的な話し
はせず、被分析者にとって中立的な存在であるように努めます。にもかかわら
ず、分析療法においてはしばしば患者の心の中に分析者に対する強い感情(強
い愛情や強い憎しみ)がわいてくるのです。このような、実際の治療者・患者
関係とはふつりあいな程強い感情を「感情転移」(あるいは単に転移)と呼びま
す。愛情のように陽性の感情の場合を「陽性転移」、憎しみのように陰性の感情
の場合を「陰性転移」と呼ぶこともあります。
 フロイトは最初の頃、転移を分析の進行を妨害するものととらえ、これを取
り除くことに苦心しました。しかし、やがて彼は分析者が転移をうまく扱うこ
とによって、むしろこれを治療の武器にすることができるということに気づき
ました。このような強い感情は、おもに患者の幼児期の抑圧された感情体験に
由来する場合が多く(例えば父親に対する憎しみが治療者に移しかえられて陰
性転移となる場合)、病気のなりたちと密接な関係をもっているものなのです。
ですから、分析の中でどんな転移が起こっているかということに注意をはらい、
その転移がどのような理由で起こっているのか、患者と共に考えていくことで、
病気についての認識を深めていくことができるでしょう。
 転移を考える上で、もうひとつ注意しなければならないことがあります。そ
れは、転移感情は患者の方だけでなく、治療者の方にも生じることがあるとい
うことです。治療者にとって、ある患者が特別大切な人に思えたり、逆に非常
に不愉快な存在に思えたりする場合です。これを、治療者の「逆転移」と呼び
ます。分析者は、自分が患者に対してどのような逆転移を起こしているのか十
分に知らなくてはいけません。それは、もしかすると治療者自身の心の弱点に
よるものかもしれないのです。そしてこのことに気づかないで治療をすすめる
と、治療者は自分の問題を患者のせいにしてしまい、非常に悪い結果を招くこ
とにもなりかねないのです。


神経症
 フロイトは精神分析療法によって、さらに多くのヒステリーや、強迫神経症
(どうでもいいことが気になって、何度も確認や儀式的行為をしてしまう病気)
や恐怖症(普通は怖くないようなもの{例えば猫}がとても怖く思えて、その
ために生活に支障をきたす状態)の患者を治療しました。これらの病気を総称
して「神経症」といいます。ここでは、具体例として『防衛精神神経病』(1894
年、著作集第6巻収録)から強迫神経症の症例を紹介しておきましょう。

 強迫的な自責に悩む少女。新聞でにせ金づくりの記事を読んだときに、「自分
もにせ金を作った」という考えが浮かんできた。また、どこかで犯人不明の殺
人事件があったと聞いて、「自分が殺したのでは」と不安になったりした。彼女
は、はじめはこれらの考え(強迫観念)がばからしいものであることは分かっ
ていた。しかし、しだいに症状が悪化して罪の意識が強くなると、医師や家族
に、自分は実際に罪を犯したと訴えるようになった。
 分析をしてみると、罪の意識の原因はすぐにわかった。幼少時に友人に自慰
を教わり、数年間、強い罪の意識を感じながら隠れて自慰をしていた。後にあ
ることをきっかけにして、再びこの気持ちが強くでてきた時に、「自分は自慰と
いう罪を犯してしまった」という考えは、「自分は殺人を犯してしまった」など
の強迫観念に置き換えられたのだ。
 数カ月の治療によって彼女は治癒した。


 フロイトは以上のような治療経験から、神経症の成り立ちについて以下のよ
うな仮説を立てました。(詳しくは『防衛精神神経病』を参照。)



(1)神経症の原因は、心にとって苦痛で不愉快な外傷体験の記憶である。

(2)その体験とはほとんどの場合、性的な体験や感動である。

(3)この不愉快な記憶は、意識からおいだされる。つまり抑圧される。

(4)この記憶とそれに結びついた強い感情は、なくなったわけではなく、無意識
の中で働き続けている。これが神経症の原因となる。

(5)ヒステリーの場合は、この抑圧された記憶に結びついた感情が、身体症状に
移しかえられ、運動麻痺や感覚の消失といった症状を作りだす。この過程を
「転換」と呼ぶ。

(6)強迫神経症や恐怖症の場合は、この感情は別の比較的無害な考えやものに移
しかえられる。この過程を「置き換え」と呼ぶ。

(7)人間の心の中には、いくつものお互いに相反する意向(気持ち)がある。不
愉快な記憶をいつまでも抑圧しておこうという意向と、その記憶を意識に上
らせてそれに伴う感情を発散してしまおうという意向と、この2つの相反す
る意向はあらそった結果、どちらが勝つのでもなくひとつの妥協案に到達す
る。これがヒステリー症状であり、強迫観念や恐怖症である。

(8)まとめ:抑圧→抑圧されたものの回帰→妥協形成=神経症の症状

 ここで重要なコメントをふたつしておきます。
第一に、フロイトは当時これらの性的外傷を実際に起こった事実であると考
えていました。この点については、彼は後に自分の考えを改めます。患者が分
析で語った「体験」はいつも外的な真実とは限らず、特に幼少期のことに関し
ては患者が抱いた空想であることが多いのです。初期理論の重要な前提である
「実際の外傷体験」は、しだいに疑問視されるようになり、それにかわって幼
児期に人が抱く普遍的な空想が注目されるようになります。この「空想」につ
いては重要なテーマなのでまた後で説明します。(フロイトは何度も自らの理
論の重要な改定を行いましたが、常に後の理論の方がすぐれているというわけ
でもないようです。)
 第二に、この「性的外傷体験」においては、大人が子供に対して一方的に性
的な行為を行うのですが、それがその子供にとっては単なる怖い出来事という
だけではなく、ある種の性的な興奮を引き起こしてしまうということです。つ
まり、子供にとっての性的外傷体験は、大人から子供への「誘惑」として作用
するということです。このような考え方から、フロイトの初期神経症理論は「誘
惑理論seduction theory」とも呼ばれます。

無意識
 神経症の原因は無意識の中にある記憶とそれに結びついた強い感情であると
いう仮説について学びました。ところで、この「無意識」というのは、神経症
などの病的な状態にだけみられる、特別な現象なのでしょうか。いや、精神分
析学ではそのようには考えません。
 私たちは、自分の心のことはすべて知っているかのように思って日々暮らし
ています。しかし、心の中には自分でも気がつかないでいる記憶、考え、願望
などがたくさんあるのです。というよりも、自分で気づいている部分の方が例
外的で大部分は無意識なのだ、といってもいいくらいです。これら無意識のな
かにある心理過程は、私たちの日々の行動に大きな影響をおよぼしていますが、
大抵はその生活を大きく脅かすような病的なかたちにはなっていない(つまり
無意識な部分も含めて比較的うまく機能している)というだけです。
 無意識の心理過程は、直接観察したり体験したりすることはできません。こ
れを研究するもっとも有効な方法が精神分析なのですが、もっと身近な方法も
あります。それのひとつが夢について考えることです。
次回は、夢の分析について学ぶことにしましょう。


参考文献
(さらに詳しく勉強したい方へ)
『自己を語る』(1925)著作集4『自叙・精神分析』みすず書房 フロイト自身が
自らの半生、精神分析学の発展、その理論の概要について簡潔にまとめたもの。
最初に読んで彼の理論の大筋をつかむのによいかもしれません。
『防衛精神神経病』(1894)著作集6 初期の神経症理論についてまとめた論文。
『ヒステリー研究 』上・下(1885) 有名なアンナ・Oを含め、4つの症例報告が
読めます。その中で精神分析技法が開発されていくいきさつにも触れられています。



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