糞便をためることと倹約することとの心理的な結びつき、無意識における「糞便=金銭」という等式が提示される。
適度に倹約をするということは、われわれの生活を安定して快適なものにする上でも、また無駄の少ない生活によって自然破壊などの悪影響を防ぐためにも望ましいこととされている。 しかし、過度の倹約というものは、往々にして当人の自己満足的な側面が強い。周囲の人、特に生計を共にするような家族にとってははなはだ堅苦しく、迷惑なものである。
私たちは、お金を貯めることで何か価値あるものを増やしているかのような錯覚に陥ってしまいがちである。しかし、お金の価値は消費をすることによってのみ個人に還元されるのだ。将来価値あるものを買うために貯金するのには意味があるが、ひたすら倹約して最後まで使わずに死んでしまったら遺産を受け継いだ子孫を喜ばせるだけのことだ。もちろん貯めたお金を寄付するなどして利他的行動に価値を見出す方もおられるだろうが。
このあたりは、糞便にまつわる快とたしかに類似性がありそうだ。最初は、なるべく多くの便をためてから排出すると気持ちいいから、ということでなされる我慢が、後にそれ自体が習い性のようになってしまい、ひたすら保持する姿勢というものが固定化していまうのだろう。
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