フロイト全集 第9巻 年

W・イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢
Der Wahn und die Träume in W. Jensens "Gradiva" (1906)
西脇宏 訳(2007)

 本論文は、題名のとおりヴィルヘルム・イェンゼンの書いた小説『グラディーヴァ』を分析したものである。であるから、論文を読むにあたっては、その前に題材となる小説を読んだ方がよい。フロイトもそれを勧めている。

 本ブログでも紹介したが、日本では種村季弘氏の翻訳でフロイトの論文と一冊にまとめられた単行本が1996年に出版されている。あまり売れなかったのか、現在新刊本では出回っていないようだが、中古なら手に入れることができる。これは、なかなかすばらしい企画だったので、文庫本で再版などされるとよいのだが。あるいは、中村元氏が光文社古典新訳文庫で出した「幻想の未来/文化への不満」が、フロイトの文化・芸術論をまとめたシリーズの第一弾とのことなので、第二弾あたりで「グラディーヴァ」を原作小説と共に収録するようなことになるとよいなと期待したり。

 「グラディーヴ」は、大変おもしろい小説である。そして、読むのであればフロイトの論文を読む前に、先入観なしに読んだ方がよい。私は幸いに、そのような読み方ができた。正確には、ずっと以前にフロイトの論文をかじっていたと思うのだが、ほとんど覚えていなかったので、新鮮な気持ちで小説を読めた。

 ここから、そしてグラディーヴァ関連の記事は今後も、どうしてもネタバレ的になるので、小説を読もうと決意された方は、ここでやめておいてください。

 もう、いいかな。

 実はこの小説は、作者の仕組んだカラクリが随所に配置されていて、最後の段になってその種明かしがされるという構成になっているのだ。読者は、主人公の体験する妄想に付き合わされるが、最後にはそこから覚醒させられて、「なるほど、そういうことだったのか」と目から鱗の気持ちを味わえる。私はうまいこと乗せられたので、妄想から現実に引き戻される治癒過程を疑似体験をすることができた。
 とにかくよくできているので、このまま映画化したらかなりヒットするんじゃないかとも思った。調べると、すでに「グラディーヴァ:マラケシュの裸婦」という題のフランス映画が作られていて、2008年の3月には日本でDVDが発売されるようである。しかし、こちらはイェンゼンの小説の忠実な映画化ではないようだ。小説からインスピレーションを受けて、ブルトンやダリなどが芸術作品を創作しているらしいから、そういったものをモチーフにした映画なのであろうか。


文学を分析されることへの抵抗

 全集の最後につけられた、道籏泰三氏の解題に目を通して「おや」と思った。氏は、どうやらフロイトのグラディーヴァ論をあんまり良く思っていないようなのだ。一部を引用してみる。

文学作品の批評というより、むしろ文学作品を通して見た精神分析――そこにはある種の暴力とトートロジーの臭いが感じられる――とでも言った方がふさわしいかもしれない。(p.385)

この空想-妄想のつながりがハーノルトの見た夢によってどう解釈できるのか、その証拠固めには解釈としてのさまざまに独断的、暴力的なところも見えるものの、フロイトの関心はその一点にむかってまるで探偵小説のごとく一枚一枚あくまで冷徹にヴェールをはがしてゆく‥‥。そこにはむろん、A・ブルトン(グラディーヴァ画廊)やS・ダリ(グラディーヴァ連作)などのシュルレアリストたちが、現実と夢幻のはざまを漂う『グラディーヴァ』という幻想小説に対して見せた熱狂や感動のかけらはつゆほども見出せない。しかし、言うまでもなく、これこそが、良し悪しは別にして、文学も精神分析のなかに取り込んでいこうとするフロイトの「文学批評」の真骨頂でもあるのである。(p.387)



 「良し悪しは別にして」と言うけど、解説者がブルトンやダリを「良し」、フロイトを「悪し」と思っていることはみえみえだ。フロイトの分析に対して「暴力」、「トートロジー」、「独断的」といった言葉を使い、括弧つきの「文学批判」としている。

 「独断的」という批判はあり得ると思うが、「暴力的」というのはどうなのだろう。どうもそこには、「文学というのは神聖なものであって、読者が勝手に作品を分析したりするのは冒涜だ」といったような考えがありそうだ。そして、それは多分に情緒的な反応なのではないだろうか。

 フロイトが、「かけら」どころか、相当小説に熱中していたことは論文からも伝わってくる。そこからインスピレーションを得て、別の芸術作品を作るか、感動の起源を分析的に考察した論文を作るか、それだけの違いなのではないかと思うのだが。


種明かし

 前の記事で紹介したように、道籏泰三氏は解題で、フロイトが「探偵小説のごとく一枚一枚あくまで冷徹にヴェールをはがしていく」と述べていた。しかし、そもそもイェンゼン自身がこの小説を探偵小説のように仕立てているのである。そして、種明かしは小説の最後でちゃんとなされているのだ。だから、ごく普通に最後まで読んだら、この話がどういうことだったのかよくわかる。フロイトの解釈も、その大筋にそった上で、さらに詳細な精神分析的な解釈を加え、小説が分析理論から見てもいかに筋の通ったものであるかということを示しているのである。

 大筋とは、こういうことだ。主人公ノルベルト・ハーノルトは、若い独身男性である。彼は天涯孤独であり、現実の女性には一切興味がなく、考古学的研究に没頭している。ある時、彼はローマの美術館で若い女性の全身像のレリーフを発見して心惹かれ、レプリカを作って書斎に飾った。彼は女性の独特の歩き方に注目し、「あゆみ行く女」という意味の「グラディーヴァ」という名前をつけて、飽くことなく眺めては空想に浸るようになった。
 ある時ノルベルトは、ヴェスヴィオ火山の噴火に埋もれるポンペイでグラディーヴァと出会う夢を見る。夢から醒めた彼は、旅に出る決意をし、ローマを経てポンペイへと到着した。ポンペイの街を一人でさまようノルベルトは、真昼の時刻に路上を渡って行くグラディーヴァを目撃した。そして、「メレアグロスの家」と呼ばれる遺跡の中で、彼はついにグラディーヴァと邂逅し、会話をすることになる。グラディーヴァは、忽然と姿を消したが、しかし翌日も同じ時刻に同じ場所に現れる。ノルベルトは、これが現実の女性なのか、幻覚なのか、あるいはすべてが夢なのか混乱し、悩む。
 三日目の逢瀬で、ついにグラディーヴァは自分の正体をあきらかにする。彼女は、ツォーエ・ベルトガングといって、ノルベルトの幼なじみであり、ずっと斜め向かいの家に父親と一緒に暮らしていたのだ。ツォーエは、ノルベルトに惹かれていたのだが、彼の方は同年代の女性などには見向きもせず、彼女が近くにいてもまったく気がつかなかったのであった。そして、最後は二人が結ばれて、めでたしめでたし。


無関心の理由

 小説「グラディーヴァ」の主人公ノルベルト・ハーノルトは、独身の男性でありながら、現実の女性にまったく関心がない。恋愛や結婚は、まことに愚かなことと決めつけていて、ひたすら考古学の研究に明け暮れているのであった。
 そんな彼が、なぜか大理石のレリーフの女性に熱中するようになり、名前までつけて空想に浸るようになる。フロイトは、これを抑圧されたものの形を変えた回帰とみるのである。

 しかし、そもそもハーノルトにおける女性への欲望は、どのような理由から抑圧されたのだろうか。小説を読んでも、フロイトの分析を読んでも、はっきりわからないところだ。
 もっとも、男性が女性に対してこのような無関心な態度をとり、かわりに学問に打ち込むというのは、ありがちなパターンではある。一般的には、持って生まれた嗜好性とか、幼少期のさまざまな体験によって決定づけられるのだろう。

 推測するためにも、ノルベルト・ハーノルトの生育歴について知りたいところだが、小説にはほんの少しのことしか書かれていない。両親は彼が小さい頃に亡くなっている。兄弟についても不明だが、おそらくいないのではないだろうか。父の仕事をついで考古学者になり、受け継いだ資産のために自由な生活をすることができた。なんだか、小説を成立させるための都合でおざなりに作られた生い立ちという感じがする。
 そもそもハーノルト自体が架空の人物なのだから、彼の性格や関心の方向がいかにして生じたかなど考えてもあまり意味はないが。それでも、いろいろ想像するのは楽しいものだ。


幼馴染

 前記事の続きで、ノルベルトはどうして女性に無関心になったかということ。ちなみに、ノルベルト・ハーノルトのことを小説では名前の「ノルベルト」と呼ぶことが多いのに、フロイトは「ハーノルト」と姓で呼んでいる。なぜだろう。

 ノルベルトの生育歴の詳しいことはわからないが、最後にグラディーヴァの正体であるツォーエ・ベルトガングが登場して、彼と彼女とは幼少期にごく近しい仲であったことが明らかになった。彼らは何かの契機で離れてしまったわけではなく、その後もすぐ近くに住んでいたのであるが、ノルベルトの方からしだいに疎遠になってしまった。
 ツォーエとの想い出が忘却され女性一般に向けられる欲望が抑圧されたとなると、その原因自体も彼女が作ったのではないかと推測したくなる。つまり、ノルベルトにとって、ツォーエにまつわる何か外傷体験のようなものがあったのではないか。

 ツォーエはどちらかというと、お転婆な娘だったようである。そして、小説後半のツォーエ=グラディーヴァが、ノルベルトと対話する場面でも、彼女のほうがサディスティックで、ノルベルトはマゾヒスティックな態度をとっているように見える。幼い二人の関係においても、ツォーエの強引で征服するような愛にノルベルトがたじろいで逃走するといったことがあったのではなかろうかと、想像してみる。


蜥蜴のモティーフ

 小説「グラディーヴァ」では、蜥蜴(とかげ)が重要なモティーフになっているようだ。ノルベルトが、最初にグラディーヴァの空想をする場面から蜥蜴は登場する。空想の中で、グラディーヴァはポンペイの真昼の街頭を渡っていく。

そのあいだをグラディーヴァは踏み石を渡ってあゆみ、緑金にきらめく蜥蜴を踏み石から払いのけた。(「グラディーヴァ/妄想と夢」p.11)



 そして、旅に出たノルベルトがポンペイの遺跡で、初めてグラディーヴァを目撃するシーンでも、大きな蜥蜴が踏み石に横たわっていて、近づく人影にするりと逃れた。空想どおりの場面が実現したのである。

 さらに、グラディーヴァとの2回目の逢瀬の後、ノルベルトは親しげに話しかけてくる紳士に出会う。彼は蜥蜴の調査をしている動物学者らしく、特にファラグリオネンシスという蜥蜴の生息に興味を持って追跡していると言う。実はこの紳士、グラディーヴァ=ツォーエの父親リヒャルト・ベルトガング教授であった。

 この場面の影響を受けてか、ノルベルトはその晩奇妙な夢を見る。夢の中で、グラディーヴァは蜥蜴を捕まえようとして言う。「ちょっと、そのままじっとしていて――あの女の同僚のいっていた通りだわ、この装置はほんとに便利。彼女はこれを使って大成功したのよ――(同p.79)」。

 ツォーエは幼少期から父と二人で暮らしてきたが、その父はアルコール漬けの蜥蜴にばかり関心を向けて娘のことなんかかまってくれなかったのだった。そして最後の場面で、ツォーエはノルベルトとの結婚を父が許してくれなかった場合には、めずらしい蜥蜴をつかまえて、娘とどっちを選ぶか選択させるという手を使えばよいと提案するのだった。

 フロイトは、蜥蜴についてはあまり詳細な分析はしていない。しかし、蜥蜴がペニスを象徴すると考えれば、ツォーエにとってはペニス羨望の態度であり、ノルベルトについてはグラディーヴァを「男性を虐待する女性」といった風に見ている、といった解釈もできそうだ。


抑圧からの回帰

 ノルベルト・ハーノルトは、幼い頃近所の少女ツォーエと親しい関係であったことをすっかり忘却していしまった。この忘却を、フロイトは「抑圧」という語で呼んだ方がよいだろうと提案している。彼は、他の女性すべてにも興味を失い、考古学の学問の世界へと逃げ込んでしまった。
 しかし、抑圧されたものは回帰する。

回帰するものは、担い手となった抑圧するものの中や背後に身を潜めつつ、最後にはわれこそは抑圧されたものである、と高らかに勝利を宣言して姿を現すのである。(9-38)


 つまり、ハーノルトの場合には、抑圧されたもの=ツォーエとの想い出は、抑圧の担い手=考古学の中から回帰したのであり、それがグラディーヴァについての空想であった。
 この説明のために、フロイトはフェリシアン・ロップス(1833-1898)という画家の銅版画をあげている。編注によれば、これは1878年作の「聖アントワーヌの誘惑」という作品とのことである。私は知らなかったが、ネットで調べると独特の画風で今風に言えば「エロ・グロ」の作品をたくさん残しているようだ。行儀のよい人の顰蹙を買いそうな絵だ。


数学への逃走

 性欲を抑圧する手段として、学問に没頭するということはよくある。また、学問への集中を邪魔をする最大のものは、異性への関心を含めた広い意味での性欲であるということも言えそうだ。
 学問にもいろいろ分野があるが、「性的なことから気をそらすものとしては、数学が最大の名声を享受している(9-39)」のだという。

 自分のことを振り返ってみれば、中学から高校の時に一番好きな学科は数学であった。たしかに、数学は人間くささとは対極の純粋に抽象的な思考の学問である。難しい証明問題の答えがわかったた時の快感というのはなんともいえない。この快感は異性への関心とは表面的には別種のものだが、美しい理想的な体系に憧れて求めていくという点は共通しており、やはり昇華されたリビードがそのエネルギーになっているということは納得いく。
 ちなみに、高校時代にならった数学教師は、数学を愛しつつ、異性への関心も旺盛なことを隠さないおおらかな先生であった。


ポンペイの魅力

 小説「グラディーヴァ」がポンペイを舞台にしているということは、フロイトがこの作品に興味を持つにあたって重要なことだった。鼠男症例では、抑圧された思いで痕跡を分析治療で再構築することを、ポンペイの遺跡とその発掘に例えて説明している。

 周知のように、ナポリ近郊にあるこの都市は、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火によって一瞬にして滅亡した。当時の人々にとっては大惨劇であったのだが、このために当時の街の暮らしがすばらしい完全さで保存され、発掘によって復元されたのであった。

 ここからの類似で、外傷体験の想い出は、抑圧によって意識から遠ざけられるために、却ってその後の体験によって磨り減らされることなく、活き活きした力を発揮し続ける。その作用によって作られるのが神経症の症状である。分析治療の目的は、抑圧された想い出を発掘することによって、症状形成のメカニズムを断ち切ることである。

 精神分析という発掘作業は、患者には症状からの解放を、分析者には忘却されたかに見えた幼少期の体験についての貴重な知識をもたらし、それによってフロイトはひとつの心理学体系を築き上げた。

 精神分析とポンペイの遺跡には、さらに偶然とは思えないアナロジーがある。ポンペイの守護神は、美と恋愛の神ウェヌスであった。街には娼館が立ち、男女の交わりを描く鮮やかなフレスコ画も残っている。抑圧されたものは、性的なものであったということ。

 小説では、主人公ハーノルトと、ツォーエの父ベルトガング教授が、それぞれの学問的関心に惹かれてポンペイにやってくる。そこには、昇華された性欲動追及としての学問ということが表現されているのであろう。


治療者ツォーエ登場

 自室に飾ったレリーフを見て空想に浸るハーノルト。この時点では、まだ彼は正常の心理状態にいる。つまり、現実と空想との区別がついている。
 ところが、ポンペイでグラディーヴァを目撃したとたんに、客観的な視点から言うと、そこで目撃した女性をグラディーヴァと信じ込んでしまったとたんに、彼の思考と判断力は混乱して病的な域に達してしまったのだ。(正確に言うと、彼がポンペイの夢に触発されて、旅立つ時から、その非合理的な思考ははじまっていたのではあるが。)

 グラディーヴァの正体であるツォーエの立場から見ても、さぞかしこの出会いは驚くべきことだっただろう。密かに思いを寄せていたハーノルトと、思いがけない場所で会ったことも、さらに彼が自分のことをとんでもない勘違いして捉えているということも。

 普通ならここで、「なにをおかしなことを言っているの!」で終わりになってしまうところだが、そうはならなかった。彼女は、ハーノルトの妄想をささえる空想が、変形されたツォーエへの思慕から成立していることを鋭く見抜き、早速その「治療」に乗り出したのであった。

 この治療における重要な技巧は、言葉に二重の意味をもたせることである。妄想を真っ向から否定してしまえば、関係が終わってしまう。かといって、妄想に調子を合わせているだけでは、いつまでたっても現実に戻ってこれない。
 そこで、ツォーエは、ポンペイから蘇ったグラディーヴァの言葉としても理解でき、かつそこに自分とハーノルトの関係を暗示するように二重の意味を持つ言葉によって語りかけるのであった。


妄想と夢における二重性

 ツォーエ=グラディーヴァは、ハーノルトに二重の意味を持つ言葉で話しかけた。一つの言葉で、グラディーヴァの物語と、ツォーエの物語とを同時に語ろうとするのである。

 この二重性は、ハーノルトの妄想の二重性と対応している。妄想の中で、彼はまさにグラディーヴァと対話していると思っている。妄想のこの表向きの内容の下には、本人も気づかない無意識的な欲望、すなわちツォーエに対する性愛的な欲望が潜んでいる。その欲望は抑圧されたが、力を持ち続け、そして変形されることでついに意識的な生活の中に表現されることを許されたのだ。このように妄想は妥協の産物なのだから、その不満足感がさらなる妄想形成の原動力となるのである。

 妄想の構造は、夢の構造と同じである。夢は、意識される顕在夢内容の背後に、潜在夢思想を持っている。潜在夢思想は、そのままの形では実現せずに抑圧された欲望であり、歪曲されることではじめて意識的になることができたのである。


第一の夢

 ノルベルト・ハーノルトは、ヴェスヴィオ山が噴火してポンペイが滅亡する日に、その場所でグラディーヴァに出会う夢を見た。フロイトの分析は、3つのポイントを指摘している。

 第一に、夢の中でハーノルトがグラディーヴァと「思いがけないことに同時代に生きている」ということは、グラディーヴァの正体であるツォーエと同時代に生きていることを示している。
 第二に、グラディーヴァの息切れた顔が石像のように変化していくくだりは、彼の関心がツォーエから石像に移ってしまったことを表している。
 第三に、夢を見ている最中の不安は、拒絶された性愛的欲望を表し、それは階(きざはし)にグラディーヴァが横たわるシーンに見て取れる。

 フロイトの分析は的確だと思うが、私としてはこれにひとつ付け加えてみたいことがある。夢の中で、グラディーヴァがとっている態度である。
 彼女は「独特の、周囲に目もくれぬ無関心な面持であるいていった(小説p.15)」のであり、ハーノルトが心配して警告の呼びかけをすると、こちらにくるりと頭を向けたが、「しかし素知らぬ顔でそれ以上気にとめることもなく、これまで通り行手をさして歩をすすめた」のであった。
 夢の中でグラディーヴァがとった態度は、まさにハーノルトがツォーエや、女性一般に向けた態度そのものではないのか。つまり、これはハーノルトとツォーエの立場を夢の歪曲によって逆転した形で表現しているのではなかろうか。
 現実においては、積極的なツォーエの態度に怖けづいて逃げ出したのはハーノルトの方であった。その外見上の無関心の裏には、燃え上がる性愛的欲望に危険を感じて抑圧する彼がいたのではなかろうか。

 それと、もう一つの思いつきだが、ヴェスヴィオ山の噴火ということ自体も、男性的な性欲の放出ということを象徴しているのではないだろうか。この点にもフロイトは触れていないが。


小説における偶然

 小説においては、いろいろな偶然の出会いといったものが、物語の重要なポイントになる。しかし、これが現実にありそうもないような偶然だと、読んでいる方はしらけてしまうこともある。

 さて、小説「グラディーヴァ」では、ポンペイの夢を見て旅に出ることを思いついた主人公ハーノルトが、最終的にたどりついた先がポンペイであった。一方ツォーエの方は、動物学者の父がいつものように発作的に蜥蜴の調査に出掛けることを思いつき、そのお供についてポンペイに来たのであった。そこで、二人は再会するのだが、果たしてこれは単なる偶然なのだろうか。

 この点については、小説では特に何も触れていないので、普通に読むと単なる偶然なのかと思える。フロイトも特に分析していない。しかし、私はここは偶然ではないと考えたい。

 ハーノルトは、幼馴染のツォーエ・ベルトガングと斜め向かいに住んでいた。彼女の家で飼っていたカナリヤの鳴き声は聞こえていたが、彼女のことはすっかり忘れていた。これだけ近くに住んでいれば、当然彼女の生活場面を見聞きする機会はたくさんあるはずなのだが、彼女のとの想い出を抑圧していたために全く注意が向かなかった。
 ツォーエの父が学問的調査のために、しばしば旅行に出掛け、彼女もついて行っていたこと。とりわけ、ポンペイ付近の蜥蜴に興味を持っていたこと。そういった事柄の会話は、ハーノルトの耳に時折入り、無意識を通じて彼の空想や夢に影響を与えた可能性はある。
 ポンペイ行きを急に決めて、あたふたと準備するベルトガング家の様子も、おそらくハーノルトは無意識に聞いていたのだろう。それは、ポンペイでグラディーヴァと出会う夢を作り出し、覚醒してから旅立ちを決意させ、最終的にポンペイに彼を向かわせた。

 以上の構成は、私の想像であるが、このようなことはあながちあり得ないことではない。そう考えた方が、ずっとおもしろい。


旅立ち

 ポンペイでグラディーヴァと出会う夢を見たハーノルトは、突然路上でグラディーヴァの歩き方をする女性を発見するが見失い、さらには向かいの建物のカナリヤの鳴き声を聞くうちに、旅立ちの決意をした。後で分かったことだが、グラディーヴァに見えた女性は実はツォーエであった。カナリアはツォーエの家のものだった。

 ハーノルトは行き先もはっきり決めずに旅立ったが、ローマからナポリと道をたどりポンペイを訪れる。そこでグラディーヴァと出会って、はじめて彼自身この旅行の目的が最初からグラディーヴァを追い求めることだったと思い至ったのであった。

 この旅立ちに至る経緯を、フロイトはツォーエへの性愛的欲求の回帰とそれを抑圧しようとする力とのせめぎ合いと見た。前者はグラディーヴァに似た女性その実ツォーエの発見とカナリヤへの注目であり、しかしそこまで近づいてもツォーエそのものには行き当たらずに、最終的にはグラディーヴァという妄想の方向へと逃走してしまう。それが旅立ちの意図であった。

 以上がフロイトによる構成だが、前の記事で書いた私の想像とは、ツォーエからの逃走という点で反対になっている。しかし、大きなまわり道をして、最終的にツォーエへの性愛が勝ったのだと考えれば、両方の構成が共に成り立つことも可能なのではなかろうか。


第二の夢

 性愛からの逃避として旅立ったハーノルトだが、ローマに行ってもアテネに行っても周りは新婚旅行のカップルばかりでうんざりであった。皮肉なことだが、逃げれば逃げるほど追いかけてくるのは、主張する性愛と抑圧しようとする傾向との葛藤によって、自ら招いた結果なのだからしかたがない。おまけに、滞在先のホテルでは、アウグストとグレーテという熱々の二人の隣室になって、壁越しに聞こえるいちゃついた会話に悩まされる。その晩に見たのが第二の夢である。

 またまたヴェスヴィオ山が噴火したポンペイである。そこに現れたのは、カピトリーノのウェヌスを荷車か何かに乗せて、ギシギシきしらせながら運ぶベルヴェデーレのアポロであった。

 フロイトは「この夢を解釈するのに、いずれにせよ格別の技術は必要でない」とだけ書いている。当然過ぎて言うまでもないということだろうが、つまり露骨な性行為への欲望を表した夢ということだ。


動機が大事

 ハーノルトは、グラディーヴァとの出会いに際していろいろと不合理な思考をしている。目の前に現れた女性が、古代からよみがえったグラディーヴァであるとするにはおかしな点がたくさんあるのだが、彼はそれらの矛盾に目をつぶって信じきっている。

 フロイトの心理学ですばらしいところは、動機を大事にすることである。人が不合理な事柄を信じてしまった場合、それは彼の判断力が低下したためと考え勝ちである。しかし、判断力の低下はあらゆる方向に起こるわけではない。その人が、信じたい方向に起こるのである。つまり、信じたいという動機が根本的な要因であって、判断力の低下は二次的に生じるのである。

 フロイトはおもしろい例をあげている。ある医師は、自分の治療上のミスによってバセドー病の女性患者を亡くしてしまったと気に病んでいた。数年後、目の前にその女性の姿が現れた時、彼は「死者がよみがえることができるというのはやっぱり本当なんだ(9-80)」としか思えなかった。実は、その女性は患者の妹であることがわかった。そして、その医師とはフロイト自身のことであった。

 常に合理的な思考を手放さないフロイトにして、一瞬ではあるがオカルト的な現象を信じてしまった。女性患者にまつわる罪責感、彼女が生きていてくれたらという願望、それらの強い動機によって判断力が低下してしまったのだ。


夢は知っている

 ハーノルトがグラディーヴァに二回目に会った後、彼はいろいろと妙な出来事を体験した。蜥蜴の調査をしている動物学者との出会い。太陽館(アルペルゴ・デル・ソーレ)という宿屋では、主人の言葉を信じていかがわしい骨董品の留金を買い込んだ。

 その晩に見たのが、第三の夢である。物語は、いよいよクライマックスに近づいている。その日に体験した奇妙な出来事には、真実のヒントが散りばめられていた。ハーノルトは意識の上ではそのことに気づいていないが、無意識的には知っていたのだ。

「どこか太陽の下でグラディーヴァは坐っていて、蜥蜴を捕まえようと草の茎で罠をこさえている。さらに彼女は「ちょっと、じっとしていて――あの同僚女性が言ってたとおり、この方法は実にすばらしい。彼女はそれを使って大いに成果があったのよ」と言う」。(9-81)



 この夢の潜在夢思想は、ツォーエが父と共に太陽館に滞在しており、ハーノルトのことを蜥蜴のように捕まえて夫にしようとしているということを表現している。
 夢を見ながらハーノルトは、「これじゃ全くの気違い沙汰じゃないか」と思うのだが、この感想はそのまま潜在夢思想に向けられたものでもあった。


確信の由来

 太陽館でいかがわしい骨董品の留金を買って立ち去るハーノルトは、とある窓辺に生けてあるアスフォデロスに目をとめると、それを留金が本物である保障であると思う。
 骨董品が本物であるかどうかと、窓辺に生けたアスフォデロスは何の関係もないのだから、ハーノルトの思考はなんとも不合理である。妄想知覚と呼ばれる病理現象に近い。

 フロイトの考え方はこうだ。ハーノルトの感じた確信感自体はまっとうなものである。それが、骨董品の真偽ということと結びついているから不合理に見えるだけである。その確信感は、本来は抑圧されて無意識的な別の考えに結びつくべきものなのだ。
 別の考えとは、「ツォーエはこの太陽館に泊まっていたのか」ということである。アスフォデロスは、ハーノルトがグラディーヴァ=ツォーエに贈った花だったのだ。


偽なるものへの擁護

 前の記事の続き。ハーノルトの妄想における確信感は、抑圧された真実から、意識上にある別の事象へと遷移した。フロイトは、この例を妄想における確信感の成立と持続ということに一般化して論じている。

 妄想の特徴とは、常識的に考えたらありそうもないことを、根拠もなしに確信することである。フロイトによれば、この確信感は本来別の真実に結びついていた感情であり、それが別のものに遷移したが故により強固になってしまったのだという。妄想は、偽りであることの埋め合わせをするかのように、強く確信され主張されるのである。

 さらに、この原理は正常心理にも拡張される。

われわれ誰もが、真偽一体となっている思考内容にみずからの確信を付着させ、その確信を真から偽のほうへと拡張させるのである。(9-90)



 たしかに、自分自身を振り返っても他の人たちを見ても、真実そうなことは「本当かな」と自信なさげに言う傾向がありそうだ。「絶対に正しい」などと強く主張される事柄には、充分に注意しなければならない。そこには、偽りだからこそそれを擁護せねばならぬという、感情的な動機があるのかもしれない。


能ある鷹は爪を隠す?

 グラディーヴァが蜥蜴取りをする第三の夢(注)には後半がある。夢の中でハーノルトが「実際これはずいぶんばかげた話だ」と思い、最後には、「どうやら、笑い鳥が蜥蜴を嘴にくわえて運び去ってくれたらしい(小説p.79)」となる。

 フロイトの解釈によると、昼間の体験においてツォーエが立ち去った後に聞こえた笑い声は、笑い鳥ではなく彼女がハーノルトを笑い飛ばしたものであることを、夢は明らかにしているのだという。さらに、アポロンがウェヌスを運び去る第二の夢との連想にも触れている。

 この部分には、独語版全集につけられた長い注釈がつけられている。笑い鳥=グラディーヴァ、蜥蜴=ペニスといった象徴により、この夢がなまなましい性的な意味をもつことに、フロイトは気づいていながら韜晦(とうかい:あえて隠すこと)したのだろうという推測だ。

 先の記事で、私も蜥蜴のモチーフをフロイトがあまり解釈していないことを指摘したので、注釈を見て「やはりそうか」と思った。しかし、もしそうだとするとなぜフロイトはそんなことをしたのだろう。「象徴解釈を乱用している」といった批判を想定して、慎重な分析にとどめたのか。

注:この記事では、小説に出てくる三つの夢に対応させてこう呼んでいるが、フロイトの文章では真ん中の短い夢は省略されて、蜥蜴取りの夢を「第二の夢」としている。


恋人の中に妹を見る

 独語版全集の注釈では、フロイトが第二の夢の解釈において性愛的な内容を意図的に韜晦したのではとの推測が述べられていた。同じように感じられる箇所がもう一つある。それは、ハーノルトが宿で見かけた若い男女に好感をいだくシーンである。

 それまで露骨にいちゃつく新婚さんに辟易としていた彼であるが、この二人のことは初めて好感をもって眺めたのであった。ハーノルトは、彼らを仲の良い兄と妹であろうと推測する。しかし、翌日に人気のない遺跡で二人が熱い接吻をしている場面に出くわし、恋人同士であることを知った。

 ここのところは、小説ではとても印象的な場面であり、何か意味深いものがありそうに感じる。フロイトの分析はあっさりとしていて、ハーノルトが抑圧された性愛的傾向を再び承認するための準備段階として捉えられている。親密な恋人に嫌悪感を持っていた男が、兄妹のように見えるからという口実のもとに、カップルに好感をいだくという見方であろう。ここでは、当然「近親相姦的欲望」といった解釈が出てきそうなのだが、その記述はない。

 ただ、後で追加された「第二版への補遺」の中に示唆と思えるところがある。そこでは、イェンゼンの他の小説を紹介して『グラディーヴァ』との関連を述べている。

イェンゼンの最後の小説(『市井の方外』)は、詩人自身の青春に由来する多くの事柄を含み、「恋人の中に妹を見る」男の運命が描かれている。(9-106)



 ハーノルトのグラディーヴァ=ツォーエへの想いには、「恋人の中に妹を見る」側面があったかもしれない。そして、それは彼がツォーエへの想いを抑圧した動機になった可能性はないだろうか、などと想像してみる。
2008.1.17



精神分析について
Uber Psychoanalyse (1909)
福田覚 訳(2007)

 一九〇九年九月、フロイトはアメリカのクラーク大学の創立二十周年記念行事に、学長のスタンリー・ホールによって招かれ、精神分析についての講演を行った。五日間連続で行われた一般向けの講演の内容は、帰国後フロイト自身により書き留められ出版された。

 治療技法としての精神分析の発見と発展、その初期の理論についてわかりやすく、興味深くまとめられている。フロイト一流のユーモアもいたるところに散りばめられており、後期理論は含まれていないものの、読みやすさの点ではフロイト入門として格好の文章といってよいだろう。


第一日

 五日間の講演の第一日目は、ブロイアーとの協力によってヒステリーに対する心理的治療としての精神分析が開発され、その最初の理論が形作られたいきさつについての話であった。この講演の頃のフロイトは、ブロイアーに敬意を表して、「精神分析を生み出したことが一つの功績であるとすれば、それは私の功績ではありません(9-111)」と述べている。しかし、1923年に付けられた注はこの発言を訂正している。1914年の「精神分析運動の歴史のために」において、フロイトは精神分析に対する責任を無制限に表明したのだ。たしかに実際の状況を見れば、精神分析はほぼフロイトが単独で開発したということの方が、事実に近いであろう。

 この日の講演でおもしろいのは、「ヒステリー患者は回想に苦しんでいる」ことを説明する比喩として、大都市を飾る記念建造物のことをあげているところだ。ロンドンにある、十三世紀のエレアノール王妃の葬列の記念に建てられたチャリング・クロスと1666年の大火を警告するために作られたモニュメント。それらの前で悲嘆にくれる現代のロンドン市民がいたとしたらおかしなことだが、ヒステリー患者とはそのようなものなのだという。


第二日

 二日目の講演では、抑圧についての説明がなされる。ヒステリーについては、フランスのシャルコーとその弟子P・ジャネが心的な機制という点から研究をしていた。その考え方は、ブロイアーとフロイトのものと近いところもあるが、根本的な要因のところが異なっている。ジャネの考え方によると、ヒステリーにおける心の解離は、患者がもともと心的な統合作用の弱さをもっているためにおこるとされる。
 これに対し、フロイトの理論では心の葛藤が重視される。個人の中で他の欲望と相容れない欲望が、それに結びつく想い出と共に抑圧されることが、病気の根本的原因を形作る。

 この日の講演でも、説明のためのおもしろい比喩が登場する。講演の行われているホールで、もし大きな音をたてるなどして邪魔をする人物がいれば、彼はその場所から「締め出される(抑圧verdrangenされる)」だろうという。抑圧されたものの回帰としての症状形成、そして分析治療による症状の解消までの過程がこの比喩によって解説される。つまみ出された男を行儀良くするよう約束させた上でホール内に再び招き入れるスタンリー・ホール学長が、葛藤を調整して治癒を助ける分析医である。こういう社交辞令も織り交ぜた話しぶり、実にうまいとしかいいようがない。


第三日

 第三日目からの講演は、二日目までのホールとは別の、大学図書館の美術室で行われた。同じ日の同じ場所で、フロイトの前にはユングが講演をしていた。両方を聴いた聴衆も多かったであろう。今から考えると、まさに夢のような講演会であったわけだ。

 講演の内容は、分析技法から夢の解釈、失錯行為へと及んでいく。その中でも、ユングなどチューリヒ学派の業績を高く評価しており、また「抑圧されたコンプレクス」といったユング的な言葉使いも多用していた。
 この後で、ユングとフロイトは袂を分かつことになる。そう考えると、これはますます貴重な歴史的瞬間の記録であるともいえよう。


第四日

 第四日は、神経症の原因としての性愛、そして小児の性的な発達についての講演である。論文でいえば「性理論のための三篇」に相当する内容であり、これまでの講演よりは難しく、初めてフロイト理論に触れる聴衆にはきびしかったのではなかろうか。

 まず目についたのは、小児の性欲を説明するのにクラーク大学の研究員であるサンフォード・ベル博士の論文をひいていること。論文では、2500もの実証的な観察例に基づく研究から小児における性的な起源を結論づけている。招待された大学の研究者の論文をひいてくるとは、なかなかのサービスぶりだ。

 また、ハンス症例についての報告をユングの講演で紹介された女児の観察例(「アンナ」実のところユングの娘アガーテ)とからめて論じたりもしている。もっとも、解説によるとこの部分は実際には第五日に述べられたもので、フロイトが執筆する際にホールの許可を得て改変した部分のひとつとのことである。

 そして、神経症の中核的コンプレクスに話題がおよび、エディプス王の神話やシェイクスピアの「ハムレット」の逸話がひかれる。ただし、ここでは「エディプスコンプレクス」という言葉は使われない。この言葉は、本講演の直後に書かれた論文、「性愛生活の心理学への寄与Ⅰ――男性における対象選択のある特殊な類型について」で初めて登場するのだ。


第五日


 最終日の講演では、空想、転移、そして分析治療の最終目的についての話題である。すべての人間にとって、文化が高い要求をつきつけてくる現実はつらいものであり、空想を抱いてその中で欲望を満たすという必要が生じる。エネルギッシュな生き方をする人は、行動によって現実を自らの空想に合うように変えていく。それが出来ない人は、現実に背を向けて空想にこもっていくのであるが、それだけでは済まない。ひとつの活路は芸術を創造することである。もうひとつの結末は、神経症にかかることである。どちらの結末でも、そうすることによって現実と再びある種の関係が築かれることになる。

 転移は、治療において患者が医者に向けるある大きさの情愛の念であり、そこには患者の無意識な古い空想的欲望が表現されている。医者は自らが触媒酵素の役割をはたし、この情動を一時的に引き受け、それを支配下に置くことによって心的なプロセスを望ましい方向にむけていく。フロイトの支持者は、転移を経験することで初めて神経症の病因に関する彼の見解の正しさを確信するようになったという。

 治療によって抑圧から解放された欲望の運命には、三種類ある。第一は、成熟した自我によって断罪されること。第二は、昇華によってより良い目的に使われること。そして第三は、直接的な満足を与えられること。
 こうして並べてみると、第二の昇華が一番望ましいように見える。しかし、すべての性愛的欲望を昇華に振り向けることはできない。性の制限があまりに広範に行われるなら、やりすぎによるあらゆる害がもたらされるであろう。シルダという街の笑い話によって示唆される警告によって、講演は締め括られている。

2008.1.24



舞台上の精神病質的人物
Psychopathishe Personen auf der Bühne (1905-6)
道籏泰三 訳(2007)

 フロイトの没後に「季刊精神分析」に英訳が発表されたのが初出(1942)で、実際には1905年末か1906年初めに書かれたものと推測されている。生前にフロイトからマックス・グラフ博士に送られた原稿であるという。どうしてその時に発表されなかったのだろうか。
 題名の「舞台上の精神病質的人物」とは、主にハムレットを指すのであるが、この文章ではハムレット自体の分析はなんだか中途半端なままに終わっている。だから、読んだ時にはこれは未完の原稿なのだろうと思ってしまった。

 この文章でおもしろいのは、演劇がどのように観客に快をもたらすかという考察である。もちろんそれは観客が主人公の人生を疑似体験するからなのだが、それが不幸な結末に終わるような悲劇もまた人々に感動をもたらすのはなぜなのか。
 そこでは、まず「われわれ自身の情動が存分に荒れ狂ったのち治まる(9-173)」ということが大事であり、それによってすっきりと心が軽くなるとともに、そこに副産物として「性的な共興奮」といったものが加わっているのだという。

 これは、演劇だけでなく現代であればすばらしい映画を見たときの感動などにも当てはまるだろう。たしかに、自分の人生だったら苦痛でしかないような作り話に涙を流せば、劇場を出たときにはすっきりした気分になる。安全なところに戻ってこれる保証があれば、激しい悲しみは心地よいカタルシスとなるということか。
 われわれの実人生は、なるべく激しい感情を避けるようにと臆病に舵取りをされている。疑似体験の中で普段していないような感情の氾濫をあえて起こさせることが、心の健康にとってもよろしいことなのかもしれない。その際におこるという「性的な共興奮」というのは、なんだかいまひとつよくわからないが。


シェイクスピア

 フロイトは相当のシェイクスピア好きだったことで知られている。多くの著作の中で、作品や登場人物について言及したり引用したりしている。ひとつの作品を分析した著作としては、「ベニスの商人」を扱った「小箱選びのモティーフ」がある。言及された回数としては、おそらくハムレットが一番多かったのではないだろうか。もちろん、エディプスコンプレクスとのからみである。
 シェイクスピアには、別人説というのが幾つかあって、フロイトはシェイクスピア=オックスフォード伯説というのをかなり熱心に追求していた。「モーセという男と一神教」の注釈に、そのことが触れられている箇所がある。

 本論文では、シェイクスピアの劇が感動を与える秘密について、それが万人の抱いているコンプレクスに大きく関わり、そこの部分で観客の心を動かしつつも、それを明確に暴き出すことはしないところにあると指摘している。

2008.1.27



事実状況診断と精神分析
Tatbestandsdiagnostik und Psychoanalyse (1906)
福田覚 訳(2007)

 ウィーン大学の法学部教授A・レフラーの依頼によって、法学部学生を対象として行われた講義の記録である。全集では、長い脚注がたくさんついていて、その特殊な背景について説明している。
 ここで話題になっているのは、刑事裁判において被告がある事実を知りながら隠匿しているかどうかということを、心理学の連想試験という手続きによって判断できないかどうかという問題である。連想試験については、当時チューリヒのブロイラーとユングが研究をしていた。被験者は、与えられた刺激語に対して連想された語をなるべく早くに言わねばならない。その反応の時間や内容によって、刺激語が被験者のコンプレクスに触れているかどうかを判断することができるかもしれない。

 この講演の少し前に、フロイトとユングの書簡による交流がはじまった。講演ではユングらの研究を紹介しつつも、フロイト自身の失錯行為や症状行為についての研究、そして精神分析治療との関連について論じている。また、ここでフロイトとしてははじめて、「コンプレクス」という語を使用している。

 フロイトは、連想試験の研究のことは評価しつつも、それを司法に取り入れることについては慎重な意見を表明している。そのひとつの理由が、「神経症患者は、罪がなくても罪があるかのように反応します(9-194)」ということ。現実として罪を犯していないのに、心理的な罪責感のために罪を犯したかのような反応をすることがあれば、冤罪をつくりだす要因にもなりかねない。この指摘は連想試験だけでなく、被告の自白そのものの信頼性というより大きな問題にもつながってきそうだ。

2008.1.29



アンケート「読書と良書について」への回答
Antwort auf eine Rundfrage Vom Lesen und von guten Büchern (1906)
道籏泰三 訳(2007)

 当時32名の著名人にとったアンケートから「読書と良書について――あるアンケート」という一冊にまとめられた本のフロイト執筆部分である。他の著名人の中には、ヘルマン・ヘッセやエルンスト・マッハといった名もあがっており、この本全体を読みたいような興味にかられる。
 フロイトがあげているのは、以下の10冊である。

ムルタトゥリの書簡と作品
キプリング『ジャングル・ブック』
アナトール・フランス『白き石の上にて』
ゾラ『豊産』
メレシコフスキー『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
G・ケラー『ゼルトヴィーラの人々』
C・F・マイヤー『フッテン最後の日々』
マコーリー『文学歴史評論集』
ゴルペルツの『ギリシアの思想家たち』
マーク・トウェイン『〔「ジム・スマイリーとその跳ね蛙」他〕短篇集』



 これには注釈がついている。それらは「もっとも素晴らしい十作品」でもなく「もっとも重要な」でも「愛読書」でもなく、「「良き」親友に似たような書物のこと」であるという。

 フロイトが良いと言っているのであるから、それは是非とも読まねばと思うのだが、リストを眺めて私自身現時点でそのものを読んだ本は一冊もない。『ジャングル・ブック』は、子供用の絵本は小さい頃に親しんだことがある。マーク・トウェインの『トム・ソーヤ』と『ハックルベリー・フィン』は読んだことがある。それだけだ。

 アマゾンで検索してみたが、ここでも意外にみつからない。フランスとゾラについては、作品はいろいろ出てくるがフロイトの選んだ本はみあたらない。唯一、メレシコフスキーの『ダ・ヴィンチ物語(上・)』がヒットした。2006年の出版だが、現在は古書でしか手に入らないみたい。例の『ダ・ヴィンチ・コード』の大ヒットを受けて関連本として出版されたのではないだろうか。
2008.2.1



強迫行為と宗教儀礼
Zwangshandlungen und Religionsübungen (1907)
道籏泰三 訳(2007)

 一九〇七年に書かれた、フロイトとしてはひさしぶりの強迫神経症に関する論文である。ここで初めて、強迫神経症は宗教との関連から論じられた。
 この後、一九〇九年に有名な「鼠男」の論文が書かれることになり、それを足掛かりに「トーテムとタブー」では歴史的な文化研究がはじめられた。さらに、「ある錯覚の未来」から「文化の中の居心地悪さ」、そして「モーセという男と一神教」という宗教論の中心には、常に強迫神経症の考察があった。

 ヒステリーが、精神分析という治療を開発するにあたって最も重要な疾患であったとすれば、強迫神経症はその理論を深めるとともに、文化論へと広げていく鍵となった疾患であった。


断念された欲動の出自

 一般に精神疾患における正常と異常の境界というものは流動的で相対的なものであるが、強迫神経症においては特にそうである。ほとんどの人がなんらかの強迫的儀式行為といったものを体験したことがあるのではないか。手洗いや洗面を決まった手続きでやるとか、寝る前にいつもする儀式的行動とか、特定の色のタイルだけを踏んで歩くとか、階段の昇降で最後は決まった側の足で終わるようにするとか。
 これらの強迫行為は、通常どこか目立たないところでひっそりと執り行われており、それゆえ社会生活には大きな支障にならずにすむわけだが、それがエスカレートして生活の大きな負担になると病的と見なされることになる。

 一方、宗教儀礼はそれ自体実際的な目的のはっきりしない形式的行為であるが、宗教的に意味あるものと見なされ、共同で厳格に執り行われる。

 フロイトは、強迫行為と宗教儀礼の間に根本的なつながりを見出した。強迫行為はいわば私的な宗教儀礼であり、宗教は歴史的に形成された普遍的な強迫神経症である。いずれにせよ、この強迫という現象が、特殊な現象ではなく普遍的な性質をもっているということであろう。

 フロイトの考え方によると、かつて断念され抑圧された欲動の蠢きが、誘いと感じられ予期不安をひきおこし、それに対する心的反動形成としてなされるのが強迫行為である。それは、欲動の蠢きを退けようとする意図と共に、象徴的な形で禁じられた行為の代理満足を得ようとするという風に、二重の意図を持っている。
 そして、誘いに対する防御が完全ではないと感じられるために、またそこに代理満足が潜んでいるために、その行為は完結せずにどんどんエスカレートしていかざるを得ないようになってしまう。

 強迫行為と宗教儀礼の違いは、断念された欲動の性質である。それは、強迫神経症の場合は性的な出自の欲動、宗教の場合は利己的な出自の欲動であるという。ここのところは、よくわからなかった。宗教においても、禁じられているのは性的な欲動である場合が多いのではと思うのだが。


復讐するはわれにあり

 強迫行為は、抑圧された欲動からの誘いから身を守るための防御策である。と同時に、まさにその抑圧された欲動を象徴的な形で充足させようとする行為でもある。

 宗教儀礼の場合には、誘いに対抗するための防御という側面はよくわかるが、後半の隠された意図の方はどうなのか。フロイトは、「復讐するはわれにあり」という新約聖書の言葉(ローマ信徒への手紙12.19)をひいて論じている。
 この言葉は、日本では映画化された小説の方で有名になってしまったが、もともと復讐という人間の行為を戒めるものである。ただ、その際に単に「復讐はいけない」と言うのではなく、「復讐は神のすることである」という戒め方をしている点が興味深い。つまり、「敵への復讐を断念したならば、かわりに神が復讐してくれますよ」といったほのめかしが、そこにはあるのだ。
 宗教儀式の中にも、それによって内なる悪を追い払うと同時に、それを神に託して実現させようという邪悪な意図が込められているということかもしれない。

 そういえば、この記事を書いたのは2月3日の節分であったが、豆をまいたり太巻きを食べたりという儀式的行為の中にも、邪悪さを振り払うと同時に、欲動追求的な意図が込められているという気はする。

2008.2.4



『応用心理学叢書』の告知
Anzeige [der Schriften zur angewandten Seelenkunde] (1907)
道籏泰三 訳(2007)

 「応用心理学叢書」というシリーズの第一巻として出版された「W・イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢」の初版に「編集責任者」の告知文として掲載された文章。このシリーズは、一九〇七年から一九二五年まで続き、二十冊ほどが出版されたという。フロイトのものでは「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出」があり、他の著者としては、リクリン、ユング、アブラハム、ランク、ザートガー、プフィスター、ジョーンズらの名があがっている。

 現代日本においても、例えば岩波文庫の各巻の巻末に掲載された文章など、同様のものはある。そのようなものをフロイト自らが書いたということに、精神分析普及に積極的に関わっていく彼の姿勢、見方によっては「支配的」ともいえる姿勢が、表れていると感じた。

2008.2.6



子供の性教育にむけて
Zur sexuellen Aufklärung der Kinder (1907)
道籏泰三 訳(2007)

 フロイトが、ハンブルグの医者、M・フュルスト博士の問い合わせに答える形で著した公開書簡。「子供の性教育をどうするか」という問題についてのこの文章が、100年たった現在でも少しも新鮮さを失っていない点に、まずは驚かされる。つまり、ここで取り扱われている問題は今日でもなお「解決済み」になっていないどころか、おそらく当時の状況とほとんど変わっていないのかもしれない。

 フュルスト博士の質問は3点。1)子供に性教育を行うべきか、2)行うのであれば何歳くらいに、3)いかなる方法で、というものである。

 一番目の点については、フロイトは議論の余地なしと切り捨てている。つまり「行うべき」であると。大人がそれを子供に秘密にしようとする態度自体が、多くの弊害をもたらしている。ちょっと皮肉っぽい表現で述べた以下の文章がおもしろい。

「お利巧さ」に重きを置くあまり、自分で考えるという子供の能力をできるだけ早期に圧殺するというのが教育者の意図であるとしますと、そのために何より有効な試みは、性の領域で道に迷わせ、宗教の領域で脅しつけることです。(9-222)



 性教育の問題を超えて、教育と学問の違いということを考えさせられた。子供に対して外から与えるのが教育であり、もちろんそれも必要なことではあるが、自らの内的欲求から追及する学問とは根本的なところから異なるものである。

 第二と第三の点については、具体的なところは議論の余地のあるところとしながらも、ひとつの提案を示している。第一に、大人が性生活についての事実を秘密にしたがっているという印象を与えないような態度が重要である。実際の教育は学校教育においてなされるのがよく、まず動物界における生殖の事実の重要性を教え、人間も他の高等動物と同等の存在であることを強調する。その上で、人間に特有の性生活についての事情を十歳を超える前に教え、性生活にまつわる倫理的義務については堅信礼(十五歳)の時に教えるのがよかろうと。

 ただし、家庭での性教育についてはあまり具体的なことは書かれていない。フロイト家では、どんな風だったのであろうか。
2008.2.8



詩人と空想
Der Dichter und das Phantasieren (1908)
道籏泰三 訳(2007)

 われわれが文学作品を読んで感動する、その快の源泉がどこにあるかという問題について論じた、大変興味深い文章である。フロイトはこの話題について、第一に子供の遊び、第二に大人の空想あるいは白昼夢との関連から考察をしている。

 まず、遊びであるが、ここで主にイメージされているのは、ごく小さい3、4歳くらいの子供がする一人遊びのことだ。例えば両手に持った積み木を自動車か何かに見立てて、なにやらぶつぶつ小声でつぶやきながら一人で空想の世界で遊んでいるという、あれである。もちろんその連続上に、仲間どうしでルールを決めて行う「ごっこ遊び」なんかも発展していくわけだが、まず原点にあるのは一人遊び。
 子供を観察していたら、彼らが実に熱心にこの手の遊びに耽っていることがよくわかる。

 フロイトがあげる子供の遊びの特徴は、まず彼らが真剣なこと。しかし、いくらのめり込んでも現実と遊びの区別はしっかりとついていること。そして、子供は遊びをことさら周囲にアピールすることもなければ、隠れてこっそりするわけでもないということ。
 子供が大人になると、このような空想遊びはしなくなるのだが、その代わりに白昼夢に耽るようになる。しかし、大人は子供と違ってそれをすることを隠すのである。なぜなら、それが現実への不満を空想の中で充足させようとすることであることがわかっているから恥ずかしいのである。

こう言ってよろしかろうと思いますが、幸福な人は空想しない、空想するのは満たされない人にかぎるということです。満たされない欲望こそ空想の原動力でして、個々の空想は、いずれも欲望成就であり、満足をもたらしてくれない現実を修正せんとするものなのです。(9-231)



 このように現実で満たされない欲望の成就ということが、子供の遊びと大人の空想の共通の目的である。そして、子供において一番大きな欲望は大人になりたいということであり、したがって遊びは「大人ごっこ」であるといえる。
 遊んでいる子供は気楽なように見える。しかし、人間は、認識すればする程に満足できない現実の中に生まれてくる不幸な存在なのであり、それゆえ子供は遊ばざるをえないのだともいえる。


三つの時間

 子供の遊びと大人の空想(白昼夢)は、共に欲望成就であり、したがって夜に見る夢とも本質的に同じである。そしてそれらは、作家の作る物語とも共通した構造をもっているのである。それは、欲望の基本的な構造といってもよいだろうが、空想が三つの時間、すなわち現在と過去と未来を貫いて生じるということだ。

心の作業は、何かある現時的印象、つまり、当人の大きな欲望のひとつを呼び覚ますことになった現在における何らかのきっかけにもとづいて始まり、そこから続いて、その欲望が成就されていたかつての――たいていは幼児期の――体験の想い出へとさかのぼり、そして最後に、その欲望の成就した姿としての未来のある状況を創り出すのでして、それがほかでもない、白昼夢ないし空想ということになります。(9-232)



 欲望成就の構造を示したシンプルにして見事な図式である。と同時にこれは、人間にとっての時間感覚というものについても実に含蓄の深い示唆を与えているのではないか。


小説のおもしろさ

 子供の一人遊びの代理物として、大人は白昼夢を欲望成就の方法としてみるけるわけだが。この新しい方法も、完全に満足できるものではない。あまり空想に耽りすぎると、それは神経症に陥る要因になるかもしれない。
 とにかく、大人にとって空想とはこっそり隠れてすることなのだ。自分の空想は恥ずかしくて人に語れるものではない、ということは皆わかっている。

 大人の空想を代理するもっといい方法は、小説などのフィクションに熱中することである。読者は、主人公になりきって、現実で満たされない欲望を成就させることができるのだ。しかも、それを読むことは恥ずかしいことでも何でもなく、同じように感動した友人とその喜びを語り合うことができるのだ。
 どうしてこのようなことが可能になるのか。それは、個人が抱きがちな普遍的な空想を抽出して作品に仕立て上げる作家の技巧によるものなのだが、作家自身ははっきりその技巧を意識していないかもしれない。

 フロイトの分析では、その技巧は第一に空想の中心部をぼやかしてわかりにくくすること。つまり夢の歪曲と同じ。そしてもうひとつは、ここがよくわからないのだが、「空想を叙述するなかで純粋に形式的すなわち美的な快をもたらすことによって、われわれを魅了するということ(9-239)」ことだという。主人公が逞しい体とすばらしい剣の腕前を持っていたり、絶世の美女が現れたり、美しい自然が描写されたりといったようなことをさすのだろうか。
2008.2.12



ヒステリー性空想、ならびに両性性に対するその関係
Hysterische Phantasien und ihre Beziehung zur Bisexualität (1908)
道籏泰三 訳(年)

 この時期に書かれた著作は、「空想」というキーワードを用いているものが多いようだ。本論文も、すでに理論化されたヒステリーの症状形成メカニズムを、無意識的空想との関連から見直している。

 興味深いのは、マスターベーション(自慰行為)と空想、そしてヒステリーとの関連の話だ。マスターベーションは、性的な内容の空想に耽りながら、特定の身体部位を自己刺激する行為である。その際の空想と、自己刺激すなわち自体性愛的実践は、もともと別のものが後から半田づけされたのだという。

この自体性愛的な活動が、やがてのちに、対象愛の領域から出てきた欲望表象とひとつに溶けあって、この空想が絶頂に達したときの状況をいくぶんかでも現実化するのに役立てられるようになったのである。(9-244)



 なるほどなあ、と思う。自慰行為における自己刺激は、空想がよりリアルに感じられるようにという目的でなされる。その際に、すでに自体性愛的に開発された性感帯が最大限に利用されるのであろう。

 このような自慰行為はやがて断念され、そこで演じられた空想は無意識的なものにものになる。ヒステリー症状が生み出されるにあたっては、この無意識的空想が形を変えて再演されるわけだが、その際に表れる身体症状は空想ともともと付随していた自体愛的実践ともつながりをもっている。

 ところで、人間の両性的素質を反映して、自慰行為の空想も異性愛的と同性愛的の両方の内容を含むことがある。ヒステリー症状は、そのような両性的な内容をもつ空想の表現となっていることがあるという。
2007.2.14



「文化的」性道徳と現代の神経質症
Die "kulturelle" Sexualmoral und die moderne Nervosität (1908)
道籏泰三 訳(2007)

 クリスティアン・フォン・エーレンフェルスの著書『性倫理』(1907)に触発されて書かれた、社会・文化批判の論文。クリスティアン・フォン・エーレンフェルス(1859-1932)はプラハ大学の哲学教授で、いわゆるゲシュタルト心理学を築いた人のひとりとのこと。

 エーレンフェルスの著作の内容については、フロイトの論文に書かれているサマリーから知るしかないのだが、なかなかおもしろそうだ。人間を健康で生命力旺盛の状態に保つための「自然的」性道徳と、生産的な文化的労働へと駆り立てていく「文化的」性道徳の対立という観点から、現代社会を分析している。そして、当時の西洋社会では文化的性道徳が優位に立っているためのさまざまな弊害がでているとの主張である。
 文化的性道徳の典型は一夫一婦制による性交渉の制限と、その結果としての二枚舌道徳、すなわち男性側の違反をこっそり許容するということである。そのために、ヒューマニズムは一定の限界以上には進展することができず、性淘汰の制限によって人間の体質改善が限られてしまうという。

 以上のようなエーレンフェルスの意見に対して、フロイトは文化的性道徳のさらなる弊害として、神経質症の蔓延ということを付け加えている。


神経質症および神経衰弱についての概論

 本論文の前半では、いろいろな著名人の引用がでてきておもしろい。
 ゲシュタルト心理学のエーレンフェルスに続いては、ドイツの神経学者ヴィルヘルム・ハインリヒ・エルプ(1840-1921)の『われわれの時代の増大する神経質症について』(1893)が引用される。そこでは、人々が現代的な生活の中で官能と享楽の激情を駆り立てられることが、神経質症の増加をもたらしていると主張されている。

 続いて、現存在分析の創始者ルートヴィヒ・ビンスヴァンガー(1881-1966)の『神経衰弱の病理学とその治療』(1896)。そこでは、神経衰弱の病因を現代生活におけるテクノロジーの進歩に結び付けて論じている。また引用箇所には「神経衰弱」という概念を提唱したジョージ・ビアード(1839-1883)の名もあがっている。

 さらに、ウィーン大学の精神医学者でサディズム、マゾヒズムの名付け親として知られるリヒャルト・フォン・クラフト=エービング(1840-1902)の『神経質症と神経衰弱的状態』(1895)。神経質症の蔓延は、社会の急速な変化によって、人々の神経系が緊張と消尽を強いられることが原因としている。

 神経質症および神経衰弱についての当時の考え方を概観した後に、フロイトの『神経症小論集』(1906)が引かれ彼自身の理論が紹介されることになる。


神経症の分類

 フロイトの神経症の分類は、現代のもとのとは少し違うので、ここにまとめておこう。

現勢神経症(Aktualneurose)
狭義の神経症であり、中毒性の性質をもつ。現在の性生活の障害がその原因。神経衰弱と不安神経症が含まれる。

精神神経症(Psychoneurose)
遺伝的影響がより大きい。症状は心因性で、性的な内容をもった無意識的コンプレクスによる。ヒステリーや強迫神経症が含まれる。

 本論文で話題になっている神経質症(Nervosität)は、現勢神経症と精神神経症の両方にまたがる諸症状の観察される幅広い状態を指しているようだ。


文化による欲動の抑え込み

 本論文が書かれた1908年は、現在2008年のちょうど100年前ということになる。100年前の西欧社会についての分析と批判なのであるが、そのまま現代の日本にもあてはまりそうなことが多い。

 テクノロジーの発達による生活の急速な変化によって、人々が精神的に疲弊して神経質症の蔓延をもたらしているという。現代社会がストレス社会と呼ばれ、うつ病をはじめとする精神的不健康が増加しているということも、これと類似した現象と捉えられるのではなかろうか。

 フロイトは諸論者の説を認めつつも、そこで指摘されていない最大の要因として、文化による性欲動の抑え込みということをあげている。
 これを現代日本の社会にあてはめると、どうなるのだろうか。一見すると、われわれの文化では以前よりも性欲動の抑え込みは緩くなっているように見える。しかし、よくよく考えてみると、必ずしもそうではないのかもしれない。

 例えば、もう数年くらい前のことにはなるが、「不倫」という言葉がブームのようになったことがある。結婚した男女が夫婦以外の異性と関係をもつといったことを題材とした小説やらドラマが大流行した。
 このような現象を見ると、あたかも婚外交渉のごときが以前よりも自由に行われているかのような印象を与えられる。実際のところは、どうなのか私は知らないし、信頼できるデータが存在するかどうかもわからない。ただ、不倫がブームになった時には、それに反対する声もまた大きく盛り上がったことも事実であろう。

 現代日本の社会においては、従来の価値基準から見て不道徳なことも含めて、やたらと刺激的な欲求がフィクションなどによって駆り立てられている。このために、そこで暮らす個人は、以前よりも強烈で倒錯的な性欲を抱くようになっている傾向があるだろう。にもかかわらず、大半の人々は現実にはさほど自由に欲求を満たせているわけではない。したがって、欲望されるものの大きさと、実際に満たされるものの大きさの比率からすると、性的欲求不満はますます増大しているといえるのではなかろうか。


夫婦生活の実態

 諸々の性欲動を抑え込む文化が、唯一公式に認めている性生活が結婚生活である。しかしながら、そこで得られる性的満足が、いかに短時間しか続かず、わずかで不十分なものであるかを、フロイトは滔々と語っている。

 それにしても、夫婦生活の実態について、いかなるデータから一般論を引き出したのか気になるところだ。このような内容を公言すれば、当然人は「フロイト家ではそうなのか」と想像してしまうであろう。そう考えると、これはなかなか勇気ある発言である。あるいは、ここに書かれていることは当時の常識だったのか。

性行為の結果に対する不安とともに、まずは夫婦相互間の肉体的情愛が消えうせ、たいていの場合、これに引きつづいて、当初の怒涛のごとき情熱のあとを継ぐはずだった心の面での愛着も霧散してしまう。こうして、ほとんどの結婚生活の運命的到達点としての心の面での幻滅と肉体面での不足不満のもとで、夫婦はともに、結婚前のかつての状態に逆戻りすることになる――ただし今回は、錯覚がなくなった分だけより貧しくなり、そのうえ、あらためて、性欲動を制御し他へ逸らせるという覚悟を強くせざるをえないのである。(9-267)



 「結婚生活の運命的到達点」の後に、夫は、妻は、どうなるのか。多くの男性は、「しぶしぶながら黙認されているいくらかの性的自由を行使する」という。これは、売春などの手段を利用するということであろうか。

 女性の場合には、姦通をするか、躾が厳しくてそれもできない場合には、もはや神経症への道を歩むしかなくなるのだという。

 姦通というのは、当時それほど一般的なものだったのか。そういえば、スタンダールやバルザックの小説を読んでいると、結婚した女性が若い男と姦通する話がやたらと出てきて、夫がそれを黙認しているようなこともあり、当時の社交界ではそんなものだったのであろうかと思ったことがある。


禁慾の害

 この論文は実におもしろい。特に、性生活の分野において禁欲的な生活を送っているタイプの人にお勧めである。
 フロイトは、これでもかとばかりに、禁欲のもたらす害を並べたてていくのだ。

むしろはるかに頻繁に見られるのは、禁慾が実直な弱虫を育て上げるという事実、強い個人によってふきこまれた衝動に抗いながらも従ってゆくのを常とする大きな群衆のなかにやがて埋没してゆく弱虫をつくり出すという事実である。(9-270)



 禁欲をすることは個人にとってはつらいが、社会的には無難な態度である。禁欲的に暮らしていて、誰かから文句を言われることはあまりない。でも、それは人に非難されたくないことを最優先する弱虫の態度なんだね。

人が性愛においてとる振舞いは、往々にして、その人が人生で見せるそれ以外のすべての反応の仕方の範例ともなっている。(9-272)



 性的な対象を獲得するのに積極的な人は人生の他の分野でも積極的だし、性的欲動を断念する人は他の分野でも融和的で忍従的な振舞いをするということだ。


マスターベーションの害

 禁欲をつらぬくにあたって、多くの人にとって重要になってくるのが、代理満足としてのマスターベーションである。そして、このマスターベーションにもまた大きな害がある、とフロイトは説く。

そればかりかマスターベーションは、甘やかしによって性格をだめにしてしまう。(9-273)



 つまり、マスターベーションは現実の性行為に比べて、あまりにも簡単にできてしまう。そして、その空想の中で、性的な対象が、あまりにも素晴らしいものに理想化されてしまう。これらのことが問題なのだ。

 現代における男性のマスターベーションの実情については、実は間接的に伺い知ることができる。それは、いわゆるAVビデオをはじめとするポルノである。それらはマスターベーションに伴う空想の材料とされるため、それによって男性らの空想の平均的動向を推し量ることができるのだ。性的対象はますます理想化され、それを求める行為はますます倒錯の度合いを高めており、それによって現代の青年はますます甘やかされていることがわかる。


そのツケは子供たちへ

 文化による性欲動の抑え込みによって、多くの結婚生活は実りの少ないものになってしまう。そして、そのような不幸な連鎖の最終的なツケは、子供にまわされることになるのだ。

夫に満足していない神経症の妻は、自らの愛の欲求を子供に転移するため、母親として、子供に対して過度な情愛と気遣いを向け、子供の性的早熟を呼び起こす。加えて、両親の関係がしっくり行っていないために、子供は、感情生活を刺激され、ごく幼くして、愛情や憎悪や嫉妬を強烈に感じるようになる。(9-275)

 子供に掻き立てられた強烈な感情は、教育によって抑え込まれ、それが神経症の素質を形成する。こうして、神経症は世代を通じて拡大再生産されていくわけである。
 ぞっとするような話だが、これもまた現代社会で進行している家族の病理に、そのまま当てはめることができそうである。
2008.2.23



性格と肛門性愛
Charakter und Analerotik (1908
道籏泰三 訳(2007)

 几帳面倹約強情という三点セットの性格と、肛門性愛の固着ということの結びつきについて述べた論文。最初に発表された時の世間の衝撃と憤慨には並々ならぬものがあったらしい、と解題に書かれていた。
 どの部分が当時の人々の反発を買ったのかまでは書かれていないが、おそらくうんちとかおしっこといったシモの話を、性格形成ということと結びつけた点であろう。しかも、その結びつきたるや、肛門に関心のある人は下品だとかいうのではなく、几帳面な人こそ肛門性愛に固着しているというのだから。そりゃあ世間の、特に几帳面で立派な面々は反論したくなったのも無理はない。

 すでに、神経症の原因は性にあるとか、小児に性欲があるといった発言で物議をかもしていたフロイトであったが、それにも増してこの肛門の話がインパクトをもっていたというのはなんとなくわかるし、そのインパクト自体が主題の本質と深く関わっているのだろう。


うんちはなぜ汚いのか

 糞便というものが、なぜこれ程汚がられるのか、というのは確かに興味深い問題だ。冷静に考えてみると、うんこはそれ程汚いものではない。もちろん、大便には伝染性の病原体が含まれているかもしれないという衛生上の問題はある。しかしばい菌がいて不潔ということなら、口の中だって相当不潔だ。でも、好きな人とキスをするのに汚いと感じることはないよね。

 自分のうんこに関して言えば、少し前までは自分自身の体内にあったものなのだから、それが外に出てしまったとたんに汚く感じられるというのもまた妙な話だ。

 うんこが汚いと感じられる理由のひとつに、その臭いがあるのだろう。好きな人であっても、その人が排便をした直後のトイレに入ったら臭い。自分の大便については、している最中には不思議とあまり感じないが、いったんトイレから出てまた入るとやはり臭い。
 もっとも、臭いについての快不快は、かなり主観的なもののようだ。良い匂いは弱い匂いであることが多く、強くすれば大抵は臭くなる。うんちの臭いも、薄めたら果たしてよい香りになるのか。

 小さい子供がうんちを汚がらずに喜んでいることなど見ると、やはり「うんこが汚い」というのは教育によって大人が植えつけた考え方なのであろう。子供がやたらと「うんち」という言葉を連発し、親にたしなめられるという時期があるものだ。では、なぜ必要以上にうんちを汚いものと扱い、そのように教育する必要があるのか。

 よくわからないが、排便が快であるからその反動形成として忌避されるようになったというのは、けっこう魅力的な仮説だ。口唇部の性愛と違い、肛門部の性愛は、成人してからのいわゆる完成された性生活の中に組み込まれる余地がほとんどなく、もっぱら個人的な快にとどまり続けるということも関係しているのであろう。

 確かに、うんこをすることはなかなかの身体的快感である。ある程度の量がたまって適度に硬さのある大便をすっきりと排出するのは気持ちよい。だけど、便秘でもなく下痢でもないちょうど良い具合というのはなかなか難しいものでもある。


カカオの魅力

 肛門性愛のことを説明するためにつけられた注釈の事例がとてもおもしろい。そこでは、ココア・メーカーのヴァン・ホーテンのことが話題になっているのである。
 コンラッド・ヨハネス・ヴァン・ホーテン(1801-1887)は、オランダの化学者でありカカオ豆から脂肪を取り除いてココアパウダーを作る技術を開発した。こうして設立されたのが、ココア・メーカーのヴァン・ホーテン社であったのだ。100年前のフロイトの著作に出てくる固有名詞が、今も身近な存在であるというところがめずらしく、親しみを感じた。

 ヴァン・ホーテンのココアは、子供の頃によく飲んだものだ。今でも、家に一缶は置いてある。おいしいココアを作るには、ココアの粉と砂糖に少量のお湯を注いで、スプーンでよく練ってペースト状にしてから、温めた牛乳を注ぐ。ここでじっくりと練る程においしくなるのだ、と教えられて必死になって練ったもの。このココアを練るという作業は、たしかになにか糞便を連想させるものがあるかな。
 独特の味と香りをもつココアやチョコレートが、これ程までに人々を魅了してやまないというのも、なにか肛門性愛と関係があるのかもしれないと思ったりした。


倹約の美徳

 糞便をためることと倹約することとの心理的な結びつき、無意識における「糞便=金銭」という等式が提示される。

 適度に倹約をするということは、われわれの生活を安定して快適なものにする上でも、また無駄の少ない生活によって自然破壊などの悪影響を防ぐためにも望ましいこととされている。
 しかし、過度の倹約というものは、往々にして当人の自己満足的な側面が強い。周囲の人、特に生計を共にするような家族にとってははなはだ堅苦しく、迷惑なものである。

 私たちは、お金を貯めることで何か価値あるものを増やしているかのような錯覚に陥ってしまいがちである。しかし、お金の価値は消費をすることによってのみ個人に還元されるのだ。将来価値あるものを買うために貯金するのには意味があるが、ひたすら倹約して最後まで使わずに死んでしまったら遺産を受け継いだ子孫を喜ばせるだけのことだ。もちろん貯めたお金を寄付するなどして利他的行動に価値を見出す方もおられるだろうが。

 このあたりは、糞便にまつわる快とたしかに類似性がありそうだ。最初は、なるべく多くの便をためてから排出すると気持ちいいから、ということでなされる我慢が、後にそれ自体が習い性のようになってしまい、ひたすら保持する姿勢というものが固定化していまうのだろう。

2008.2.28



幼児の性理論について
Über infantile Sexualtheorien (1908)
道籏泰三 訳(2007)

 「ある五歳男児の恐怖症の分析〔ハンス〕」に先立って、その成果の一部を盛り込む形で作られた論文。「幼児の性理論」とは、「幼児が考える性理論」ということである。
 もの心がつきはじめの小さな幼児は、「赤ちゃんはどこから来るのか」という問題について考えをめぐらせる。これについて、大人はちっとも正直なことを教えてくれない。だから、子供はたったひとりでこの難問に取り組まねばならないのだ。

 このような疑問を抱くきっかけとなるのは、弟や妹のような下の子の誕生が契機になりがちであるという。兄弟の上の子は、下の子に嫉妬して「いなくなっちゃえばいいのに」と思うものである。下の子にしても、さらにその下の子が生まれるのではないかという脅威にさらされている。そういうことから、「そもそも赤ちゃんはどこから来るのか」という問いが投げかけられるのだという。


誤りに含まれる真実

 幼児の性理論は間違っているのだが、それは普遍的な間違い方をする、とフロイトは考えている。ここでは、主に男の子の場合で述べられている。

1.男性も女性もペニスを持っていると考えている。女性にとってはクリトリスがペニスの役割をする。
2.子供は母の胎内で成長し、そして肛門から大便のようにひり出される。そして、男も出産することが出来る。
3.両親の性交は、サディズム的な行為とみなされる。
4.結婚の本質について、さまざまな解釈がなされる。「目の前でおしっこをし合う」、「互いにお尻を見せ合う」、「血の混じり合い」など。

 これら、それぞれの見解は誤りではあるものの、その中に本質的な真実をも含んでいる。そして、それは成人してからの性生活にも形を変えて影響をおよぼしてくるのである。
 幼児の性理論は一旦抑圧により忘れ去られるが、前思春期の頃の本格的な性探求の際に再度活性化して、正しい認識を乱れさせる。

2008.3.2



ヒステリー発作についての概略
Allgemeines über den hysterischen Anfall (1908)
道籏泰三 訳(2007)

 ヒステリー発作についての簡潔なまとめ。
 ヒステリー発作とは、「当人の空想(ファンタジー)が運動的なものに翻訳され、運動性へと投射されて、パントマイムふうに上演されたもの(9-309)」とのことである。そういう意味では夢と似ている。夢は知覚による上演であるのに対して、ヒステリー発作は運動による上演であるということになろう。

 夢と同様に、この運動による上演にも歪曲がなされる。そして、その歪曲もまた夢の場合と類似している。

1.縮合‥‥複数の空想が、一つの発作症状として上演される。
2.多重的同一化‥‥空想における二人の人物の動きが一人の動きとして上演される。
3.神経支配の敵対的逆転‥‥例えばヒステリー弓(身体をのけぞらせるように反らせる発作)は、抱擁が逆転して上演されている。
4.時間順序の反転‥‥動作が時間的に逆の順序で上演される。

 発作が呼び起こされる際の誘引としては、以下のものがある。

1.連想によって(つまり心への刺激)
2.器質性の促しによって(つまり身体への刺激)
3.一次的意向(一次的疾病利得)に奉仕するために(疾病への逃避)
4.二次的意向(二次的疾病利得)に奉仕するために

 発作として上演されるもととなったマスターベーションは、空想と自体愛的満足(こちらがより根源的)の結合からなる。発作においては、まずは空想が上演され、さらには自体愛的満足も再現される。
 ヒステリー発作では、抑圧されたリビードが運動により放散されるが、その際に性交にみられる反射の機制が利用される。ヒステリー性の痙攣発作は性交の等価物である。

 女性におけるヒステリー発作は、とくに男性的な性格をもった性活動を再演する傾向があるという。それは、女性的になるために、後に抑圧されたものである。

ヒステリー性神経症は、じつに多くの事例において、女性なるものを男性的な性を一掃することによってつくり出そうとする典型的な抑圧の力が、過度に現れ出た結果にすぎないのである。(9-311)

2008.3.4



神経症者たちの家族ロマン
Der Familienroman der Neurotiker (1908)
道籏泰三 訳(2007)

 千九百九年に出版されたオットー・ランクの『英雄誕生神話』という著作中に挿入される形で発表されたのが初出とのこと。後に独立して出版された時に改めて表題がつけられた。

 神経症者だけでなく、普通の子供や青年が両親に対して抱きがちな白昼夢についての解釈である。典型的な空想としては、「自分を育てている親は実は真の親ではなく、真の親は高貴な身分の者である」というものがある。また思春期以降になると、「産んだのは母であるが、父親は別の人物だ」というバリエーションも出てくる。
 日本でも、よく「私は橋の下で拾われた子なんだ」というようなことを言う。この場合にはむしろ否定的なニュアンスを含むようだが。しかし、標準的な伝説において英雄が遺棄された後に水の中から引き上げられるという話と比べると、「橋の下」というところに何か意味深いものがあるのかもしれない。

 子供が親について抱く、こうしたありがちな空想は、彼らがだんだん物心ついて、現実の親の姿に幻滅を感じることが契機になるという。空想の中の「高貴な身分の真の親」こそが、子供が最早期に抱いた理想的な親イメージを反映しているのだ。

2008.3.6



ヴィルヘルム・シュテーケル博士著『神経質性の不安状態とその治療』への序言
Vorwort zu Nervöse Angstzustände und ihre Behandlung von Dr. Wilhelm Stekel (1908)<
道籏泰三 訳(2007)

 表題のとおり、1908年に出版されたシュテーケルの著作にフロイトから贈られた序文である。ヴィルヘルム・シュテーケル(1868-1940)は、フロイトに精神分析を受け、初期の精神分析運動に協力した分析家のひとり。しかし、後にフロイトのリビード理論に異をとなえて袂を分かつことになった。と書きながら、なにか似たような文句を他の記事でも書いたなという気になる。デジャ・ビュではなく、フロイトはいろいろな弟子と袂を分かっているのである。

 他の著者による著作にフロイトから贈られた序言も、全集の中にずいぶん収録されている。このことも、すでに書いたね。

2008.3.8



フェレンツィ・シャーンドル博士著『心の分析――精神分析関連論文集』への序言
Vorwort zu Lélekelemzés, értekezések a pszichoanalízis köréböl, írta Dr. Ferenczi Sándor (1909)
道籏泰三 訳(2007)

 フェレンツィ・シャーンドルが母国語のハンガリー語で記した論文集にフロイトが贈った序言。初出時は、この序文もハンガリー語訳で掲載された。
 多国語に堪能なフロイトは、英語、フランス語、スペイン語くらいまでなら自分で短い文章は書いていたが、さすがにハンガリー語は無理だったかな。
 ハンガリーで精神分析の研究が広まることへの希望が述べられている。

2008.3.10